EDMUND  BURKE(エドマンド・バーク)の系譜

真正自由主義(伝統主義、真正保守主義)

 

http://counter.geocities.jp/ncounter.cgi?id=burke_revival


バーク保守主義の神髄

 

● 保守主義とは、高貴な自由と美しき倫理の満ちる社会(国家)を目的として自国の歴史・伝統・慣習を保守する精神である。

 

● 保守主義は、自由と道徳を圧搾し尽くす、全体主義(社会主義・共産主義)イデオロギーを排撃し殲滅せんとする、戦闘的なイデオロギーである。いざ戦時とならば、「剣を抜く哲学」である。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 4.「人権」「人民主権」「平等主義」───テロルの経典「人権宣言」

 

内容項目

@「人権」という狂信──全体主義の媚薬

A迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」

B平等主義──自由抑圧の擬似宗教

 

 日本では、フランス革命について「偽りの歴史」が繰り返し教えられ、フランス革命を幻想に近い虚構でとらえている。

 

例えば、1789714日のバスティーユ牢獄襲撃について、この牢獄は“貴族専用刑務所”であるのに、政治弾圧での政治囚が閉じ込められていた、というが流布している。事実はたった七人の貴族が受刑中であっただけである。

 

 この一例でわかるように、フランス革命の歴史事実についての「嘘、嘘、嘘、・・・・」は、フランス革命の思想について「嘘、嘘、嘘、・・・・」で塗り固めるための舞台装置である。日本では、フランス革命が厚化粧で美化され真実が全く秘匿されている。

 

 1989年にフランス革命二百年を迎え、政府主催の行事は大幅に縮小され、それ以降フランスは、フランス革命を忘却の彼方に押しやろうとしてきた。フランスでも、この大革命を「非」と考える常識派の方が圧倒的多数となった。人権宣言についても有害なものとみなすフランス人の方がほとんどになった。フランス人権宣言を肯定的にとらえ、時には「憲法原理」として神聖視するのは、今では日本だけである。

 

 以下、フランス人権宣言を解剖するのは、世界中でただ一カ国、フランス革命とその思想にかかわる神話を盲信する日本国民に、その事実を知って欲しいためである。

 

@「人権」という狂信──全体主義の媚薬

 

 ●「共産党宣言」か、「人権宣言」か

 

 近代における政治宣伝(プロパガンダ、嘘宣伝)の歴史的文書は二つある。

 

第一は、フランス革命の「人権宣言」(1789年)であり、この「人権宣言」があのギロチンをフル稼働するジャコバン党独裁の全体主義への門出であった。

 

第二の宣伝文書は、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」(1848年)であり、「プロレタリアート」に神性を与えて暴力と破壊に使命感を妄想させる魔語で満ちている点で、フランスの「人権宣言」とともに、プロパガンダ史上の双璧である。

 

国連が採択した「世界人権宣言」(1948年)は、その起草が東西両陣営の激突という表面的な動きの裏では共産主義とそのシンパの主導(実際としては背後に潜むソ連共産党の指揮下)でなされたことも明らかなように、いわばこのフランスの「人権宣言」を母として「共産党宣言」を父としてうまれたものであり、そのプロパガンダ性における威力は、両親ほどではないが、人類を思想的に狂わせ誤った道に導くことにおいてやはり、有害な政治宣伝文書として注意を払っておく必要がある。このときの国連人権委員会の委員長は、米リベラリストのエリノア(故フランクリン・ルーズベルト大統領夫人)であった。そして、ソ連はこの裏工作を秘匿するため、同宣言の採択を他の共産主義国とともに演技として棄権した。

 

世界人権宣言は、ハイエクの指摘を待つまでもなく、全世界の人間がすべて組織の被雇用者(「プロレタリアート」)である、という架空極まる非現実を前提とする。独立の自営業者や自営農民あるいは独立の医者や弁護士そして研究者などは一人として地球に存在しないという超架空性を出発点としたものである。

 

例えば、アフリカの原始的あるいは貧しき人々に「有給休暇を与えよ」というのは漫画的ジョークにすぎず嗤う気にもなれない。

 

世界人権宣言第二十四条は、

 

「何人も労働時間の合理的な制限と有給休暇とを・・・・得る権利を有する」

としている。これは、裏から読めば何人も被雇用者でなくてはならないということであり、例えば農民はソ連のコルホーズやソホーズのように「工業労働者」化しているということであり、全体主義体制への移行を絶対的な条件としている

 

世界人権宣言第二十三条は、

 

「何人も、・・・・・公正かつ有利な労働条件を獲得し、失業に対して保護を受ける権利を有する」

 も同様である。独立自営の人々まで失業で保護を受けるということは、自営業者に独立自営の努力を弱めさせ、倒産か自営業の放棄を促している。言外に私企業否定の論理全人類の労働者化の前提が貫かれている

 

 実際の共産主義体制の諸国では労働は苛酷を極め、この1948年時点でのソ連ではスターリンのもと、まだ、数千万人が強制収容所で凍死と餓死に瀕していた。日本から「シベリア抑留」将兵六十四万人(KGB数字。厚生省では五十七万五千人、実数は八十万人か?)もこの中にあった。しかし、国連の人権委員会は、この世界人権宣言の採択に当たって、人類史上類例のないソ連の人権侵害に対して一言の非難すらしなかった。何の意味の「世界人権宣言」か?バカバカしいにも程がある。世界人権宣言とは、その目的においてもその本質においても、自由主義諸国の高度産業都市における労働運動を鼓舞して世界共産化の一大起爆剤のための手段の一つにすることであった。共産主義運動用の偽善と欺瞞に満ちる露骨な政治宣伝文書、それが「世界人権宣言」であった。

 

この事実からも「人権」という言葉は「共産主義運動用の煽動用語の意味合いが強い言葉である」ことを日本国民はまず「意識すること・知ること」である。逆に言えば、「人権」という言葉を天下の宝刀のように振り回す人間は「共産主義者」であることが多いということである。

 

この二文字魔語「人権」が共産化革命運動のスローガンでもあることは、日本の憲法学者の「人権」に関する学説において特に露骨である。樋口陽一東大教授もホー・チ・ミンのベトナム共産化闘争宣言(「独立宣言」)がフランスの人権宣言などを援用していることを強調し、やはり、「人権」=「共産化」と解している。

 

二十世紀の全体主義の起源はフランス革命であるが、その発生時期としては人権宣言が採択された1789826日がただしいだろう。このフランス革命は新・宗教国家創造運動であり、フランス革命の起爆剤的な宣伝文書たる「人権宣言」とは、“布教マニフェスト”であった。イスラム教はその経典コーランを片手に剣で布教したが、フランス革命教の分派であるナポレオン(ジャコバン党員であった)のヨーロッパ武力制覇も、このマホメットを再現していて「人権宣言」の布教を伴った。「人権宣言」、それは政治近代化の文書ではない。宗教的教典の一つであり、全体主義イデオロギー布教の宣伝文書である。

 

また、「人間の権利」というドグマは「国民の権利」の理論と異なって国家がなく国境がない。ボーダーレスである。このため、他の国家や国境を尊重する思考を弱め、侵略を容易にする。国際共産主義運動(世界の共産化)を目指す第三インターナショナル(コミンテルン)とそのシンパにとって、これほどありがたい「道具」はないであろう。

 

人権宣言と共産党宣言、人類の歴史上これほど人類をして戦争や大量殺戮に駆り立てた宗教的な政治宣伝文書はかつてない。人類にとって悪魔のごとき最悪の文書であろう。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 

 ●フランス人権宣言──人間の奴隷化・動物化の原点

 

 フランス人権宣言は、国家に対して民衆(国民)が権利を要求する形において、初めて国家の権力の世俗化と肥大化を決定づけるものとなった。

 

 これによって民衆はみずからの個人の力で解決すべきことを国家に依存し、また、民衆の属していたそれぞれの「社会」(現代の日本で言えば、企業、地域社会、各種共同体、農村部落、自治会、町内会そして家族など「中間組織」ともいう)で処理してきたものを一括して国家に対してその実行を法律による強制として要求した。しかも、権利として要求した。その結果、国家は民衆(国民)に対して微細に干渉しこれを支配する権力が附与された。民衆は(国民)は国家に隷従する道に迷い込んだのである

 

 つまり、国民は国家への過大な権利要求の代償として、国家権力の肥大化(強権化)と国家権力に対する依存症を引き起こしたのである。このことは非常に危険で、第一に、国家権力の強権化は自由の圧搾による全体主義体制の下地をつくる可能性を高め、第二に国家財政が破綻して国家権力の行使が不履行となった時、権利をすべて国家に委ねている国民は国家と共倒れになって滅びるということである

 

 現在問題になっている社会保障問題(年金等)についても、福祉の保障をすべて国家に委ねれば国家財政の破たんで国民の福祉は破綻するし、国家財政を立て直すべく国家が消費税を引き上げる権力を発動すれば、国民の納税の負担は拡大し、国家権力による国民の私有財産の搾取に隷従することになるのである

 

さて、『論語』を一読すれば明白なごとく、人格の陶冶とかその文化的教養の訓練とかさらには高貴な精神の保持などは個人の領域であり、個人の努力なしにはいかんともしがたいものにも関わらず、国家に対する普遍的な人間の権利要求でもって人間が人間として向上しうるとする詭弁と迷信への狂信、それが「人権宣言」の根本にある

これをブルクハルトは、「人権として教養を求める要求」と名付け、人間としての人格形成のための教養の要求が人権の完全な実現でなされるという迷信が普遍化してしまったと嘆く。しかも、「人権としての教養を求める要求」のその本心はみずからの享楽的生活への欲求であって人間としての精神の向上にあるのではない。

 

加えて、人間の権利を、労働とか生存とか、奴隷(の労働)や動物(の生存)に関する権利と同水準で最低レベルのものとしたため、人間をして、群れをなす羊のごとくに画一化/平準化を進め、かつ本当に、この羊の水準に落とすことになった。ソ連(共産ロシア)の「収容所群島」金日成下の北朝鮮の全土が飢餓列島と化している現実は、これを証明して余りあろう。そして心の豊かさや精神の向上あるいは美しき道徳(倫理)の保持など、人間が真に人間たりうる原点のすべては一切忘却され否定されるに至った。

 

個人が「社会的・経済的な権利」を神聖(絶対不可侵)な普遍的「人権」として国家に対して要求することは、逆に国家が個人に対して社会的・経済的な強制の権限をもつことが絶対不可侵性において正当化されることになる。ハイエクは次のように結論付けている。この結論の正しさは「プロレタリアートの祖国」ソ連において実証されている生存権の保障、失業ゼロ、・・・・の理想社会(ユートピア)は、良くて「貧困の平等」社会であり、運悪いものにとっては強制労働かテロによる死の訪れる社会となる。

 

ハイエク曰く、

 

「新しい(社会的・経済的な)権利は、(生命の自由など)旧来の市民的権利が目指す自由主義的秩序を同時に破壊することなく、法によって施行されることはありえない」

 

バークハイエクより約二百年も早くこれを洞察していて「人間は、全ての物に対して権利をもてば、全ての物が持てなくなります」と警告している。至言である。

 

しかも、政治社会が一人一人の国民に対してその人間としての尊厳を尊重する、そのような社会を欲したいのであれば国家と「社会(中間組織)」の境界を不鮮明にしてはならない。すなわち、国家と「社会」はそれぞれの権限(責任)の範疇を逸脱しないルール(伝統)を守るべきである。国家と個人の中間に「社会」を位置させてこの「社会」この「社会(中間組織)」をもって個人を柔らかく包む庇護幕としない限り、人間の尊厳も人間の生命も守れない。国家と国民とを直接的に連結させるべくこの中間にあった数々の「社会」を消し去ることにした「人権」は、人間の尊厳にとってそれを侵害する最悪の毒物となった。

 

ブルクハルトも、人権宣言によって近代が過誤をなしたのは、「国家の使命と社会の使命との間にある境界が全く乱れて消える」からである、と指摘している。

 

「社会」で処理されるべきものまですべて国家の強制でその解決や要求の従属を求めようとすることは否が応でも国家権力の拡張と肥大化をもたらし、かくして国家は両刃の剣となって国民を襲うものとなる。フランスの人権宣言以降、ジャコバン党にしろロシア共産党にしろ、これに依拠する国家において、おびただしい殺戮が実行されたのは、人権宣言の当然の帰結でもあった。前者は数十万人、後者は数千万人ほど自国民を殺した。ロベスピエールが処刑されなかったならば、フランス革命はその後一気に数百万人は殺したであろう。「ヒロシマ・ナガサキ」原爆の被害者総数は十万人だが、「人権」のドグマはこの数百倍以上の殺人能力をもつ。

 

なお、「人間の権利」については当然のことであるが、「国民の権利」に関しても憲法に明文的に規定することが、国家権力を肥大化せしめることになる恐れがあるから、憲法に定めてはならない、と史上最も早く指摘したのは米国のA・ハミルトンであった。1787年起草の米国憲法には「国民の権利」も「人間の権利」もそれらしき条項が全くない。このハミルトンの見識に従ったからであった。ハミルトンは次のように主張した。なお、米国憲法が1791年の改正で「国民の権利」条項を追加したのは、フランス革命の熱狂的ブームのため、しぶしぶ追加したのであった。

 

ハミルトン曰く、

 

「特定の権利についてのこまごまとした記述は、・・・・国民全体の政治的利害を規制することを主たる目的としたこの連邦憲法案の場合は不適当と言わざるを得ない。・・・・(それを)入れるとなると、それは元来連邦政府に付与されていない権限に対する各種例外を含むことになり、その結果、連邦政府に付与されている権限以上のものを、連邦政府が主張する格好の口実を提供することになるからである

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

●普遍的権利か民族固有の相続財産か

 

もともと“自由”とは、国家に要求し国家の強制によって体現される個人の権利ではない。国家がそれを最大限に尊重すべく、に従ってあるいは「社会」のバリアによって、個人に対する国家の権力が最大限に制限されることによって保障されるものである

 では、個人の“自由”に対する国家の権力を制限する、“法(law”とは何か。バークによれば、各個人の“自由”が各個人の父祖からの相続された個人的遺産であると考える賢明な叡智(常識)、それがこの“法”である、と言う。

 

バーク曰く、

 

「我々の自由を主張し要求するに当たって、それを祖先から発して我々に至り、更に子孫にまで伝えられるべき限嗣相続財産とすること、また、この王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、何にせよそれ以外のより一般的な権利や先行の権利などとは決して結びつけないこと、これこそ、マグナ・カルタ(1215年)に始まって権利の章典(1689年)に及ぶわが憲法の不易の方針であった

 

 ハイエクによれば、法と自由とは、ある社会の安定が長く幾世代も持続したことによる歴史的産物であって「自生的秩序」だという。バークとハイエクは視点も論点も異なるが、結論は全く同じである。

 

 要するに、人間一般に普遍的な「人権」の思想とは、その代表たる“自由”を例とすれば逆に自由の放棄の教義(ドグマ)となるように、欺瞞と狂気の政治宣伝(プロパガンダ)にすぎない。人類に普遍的な「人間の権利」などというものは、あの「世界人権宣言」がいかに宣伝しようとも、現在のアフリカにおける部族間の血生臭い殺し合いの現実(自由ゼロの現実)が示すように、一定の長さの安定的な歴史を有さない政治社会においては理論的にも決して存在しない。「人間の権利」は人類に普遍的にあるのではなく、あくまでも各国家のそれぞれの歴史において“自生的”に成長し存立しうるものである。だから、人間一般の権利ではなく“国民の権利”なのである。

 

 すなわち、このようなものをあえて“権利”と称したいのであれば、各国・各民族の「国民(民族)の権利」としてであろう。例えば、日本について言えば、“自由”を「日本国民の権利」として要求するのならば、それなりに妥当だが、国家や民族の歴史を欠いた普遍的な「人間の権利」として要求するのであればそれは人間性を否定する狂った教義にすぎない。つまり、ある国家(政治社会)に生まれた“国民”は、普遍的な「生物学的な人間」として生まれたのではなく、その国家の歴史・伝統・慣習・法の枠内において権利を要求できる“国民の権利”しか持ちえないのである。

 

 このことは、一般的に考えても常識なことであって、例えば日本国民が中国(米国でもどこでも良い)に旅行に行って、中国国内で「日本ではこれが日本国民の権利だ」といくら主張しても、それが、「中国国民に認められていない権利」であれば、その権利行使は中国国内では認められないのが当然であるごとく、国家の歴史・伝統・慣習・法に基づかない人類普遍の権利としての「人権」など、現実的に存在し得ない。あるのは、各国家における“国民の権利”のみである。

 

 だから、日本国憲法の「基本的人権の尊重」という詭弁で在日外国人に地方参政権を与えるようなことは決してしてはならない。それは、「参政権」が「日本国民の権利」であるという“自由”の基盤を突き崩す、狂った危険な思想に基づいているからである。在日外国人が「国民の権利」としての参政権を得るためには、日本国に帰化して日本国民となる(国籍を取得する)ことが大前提である。

 

 人間とは、動物ではないし、奴隷であってはならない。況やロボットではない。動物や奴隷は普遍的であるが、それぞれの人間は国家と民族の産物であって、つまり、各国家(各民族)固有の歴史の上に生きている。人間は、国民になった時初めて生物学的な人間ではなく、つまり動物とは異なった“真の人間(「人間的人間、文明社会の人間」”になれる。

 

 英国の「権利の章典」(1689年)が、狂ったフランスの人権宣言と根本において相違したため健全であるのは、「人間の権利」というものを断じて認めなかったからである。この「権利の章典」と称される法律の正式名称は「臣民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律」であって、あくまでも英国の貴族と庶民だけの権利について宣言して「人間の権利」などに言及してはいない。だから、英国では全体主義体制はおこらず、国民に対する無差別殺戮も決して生じないのであり、国民にとって最高な価値である“自由”が正しく保障されるのである。

 

 「権利の章典」は、「僧俗の貴族および庶民は、・・・・それらの祖先が同様な場合に行ったようにそれらの古来の自由と権利を擁護し、・・・・宣言した」と述べて、みずからの自由が「祖先」のものだから「古来」のものだからということにその権原を求めている。

 

 ところが、日本の学者は、英国のマクナカルタ「権利の章典」と、それと対極的なフランス人権宣言とを一緒にして区別しない。岩波文庫『人権宣言集』(宮沢俊義ほか編)はこの悪例の典型的なものの一つである。要するに、英国には「人権」などという概念はなかったし、英国の近代とはこの「人権」を排除する歴史であった。

 

 英国の「権利の章典」等(Aとする)フランスの人権宣言(Bとする)の対極的な相違は

 

@Aの「国民の権利」とBの「人間の権利」の宣言の相違にとどまらない。

AA国民の身分的不平等を是認し、Bはその(貧困の)平等化を狙うものであった。

BA国王(君主)制の存続を絶対的な前提としての「国民の権利」要求であるが、B国王(君主)制否定のドグマを前提としていた。

CBは中間組織の破壊を狙う「旧体制」から「新体制」への革命の野望を秘めるが、Aにはそのようなものは全くなかった。DBには「旧体制」破壊の革命支持派と反革命派を差別する(この事実でもはや人間の平等など存在していないのである)が、Aにはそのようなものは片鱗もなかった。

 

若干説明すれば、「権利の章典」は、「僧俗の貴族および庶民・・・・」が宣言文を両陛下に奉呈したその形式で明らかなように、英国を僧服貴族・世俗貴族の貴族の身分のものと庶民の身分のものとの差別的な二階級をもって構成されることを大前提としている。そして、この法律の正式名称の後半が「王位継承を定める」であるように、安定的な立憲君主制を希求するのが「権利の章典」の眼目であった。

 

しかし、フランスの人権宣言には、フランス国民が全く存在しない。フランスの歴史も存在しない。そもそもフランスが全くない。代わりに、人間一般が論じられ、政治と立法に直接かかわる条項は人間ではなく市民」という革命用語で記述されている。「旧体制」(アンシャン・レジーム)破壊を支持する革命派だけが政治参加の特権を与えられる「市民」であって、そしてルソーの定義するように「人間は市民になって初めて人間となる」のだから革命派以外は「人間」でないと差別されて、法的保護の対象外となる。

 

すなわち、フランスの人権宣言とは「革命の信徒」と非信徒を差別し、後者に対する殺戮(テロル)を宣言する恐怖の政治文書でもある。そして、この「革命の信徒」が直接「宗教指導者」たる国家権力と直結すべく、国家と個人(信徒)の間に介在する「中間組織」をすべて破壊するため、フランス人権宣言には「結社の自由」がない。それを否定したのである。つまり、「人権」によって国民が裸のまま国家権力に晒されることにしたのである。

 

以上のことを一言で言えば、フランス人権宣言は歴史も文明も否定する生物学的人間が反乱して国家を簒奪してそれを宗教的共同体に改造するという論理体系になっている。だから、動物並みの「生存」をもって「自由だ!」「権利だ!」と絶叫するのである。そこには民族の歴史や伝統からなる文明社会(国家)への言及は一言もないが、動物にはそのようなものがないのと符合している。

 

なお、ソ連の崩壊と共産主義の衰退で、“共産革命の信徒”という意味であった「プロレタリアート」が死語となり、1990年代の日本では、「市民」や「地球市民」がこの「プロレタリアート」の代用語として定着した。だが、もともとルソーの「市民」がマルクスによって「プロレタリアート」と改名されていたのだから、実はフランス革命時の特殊政治用語「市民」が復活したのである。マルクス主義の「プロレタリアート」はポスト冷戦でもルソー主義の「市民」という糖衣をかぶって生き続けている。

 

日本の新聞から「市民」の二文字が消え、“国民”が復活するまで、マルクス主義者に占領された日本のマスメディアの左翼革命運動は下火にすらなっていない証拠である。

 

なお、市民団体」という団体も、(すべてがそうではないにしても)マルクス主義者の団体を意味することが多い。なぜ「国民団体」といわずに「市民団体」というのか。それは自らを国家に拘束される国民と認めていないからである。そして「市民」が暗黙のうちに「マルクス主義的人間、世界市民」を示すからである。

 

これらの「市民団体」は当然の帰結として、国家に対し「権利」「人権」等を執拗に主張するのである。

 

ところでフランス人権宣言にはとんでもない、第二の過誤がさらにある。人権宣言は民衆が国家に対する「無制限の権利(人権)」を要求することを正当化した。ところが、“人間の義務”については全く言及しなかった。このことが、人間が高貴さや倫理性(つまり道徳)を拒否するそのような狂気を正当化する根拠ともなった。

 

倫理(道徳)とは義務の精神である。人間が権利の要求(欲求)のみに満ちていることは、本質的に反倫理(道徳)的である。近代社会における人間の道徳喪失を著しいものとし野蛮化を促すその元凶は、このフランス人権宣言のとおりに権利を要求して義務を課さないことに発生したのである。

 

ベルジャーエフは、これについて、次のように鋭い批判をしている。

 

ベルジャーエフ曰く、

 

(フランス)人権宣言は当然、人間の持つ義務の宣言と関連していなければならぬことを忘れ果てている・・・・人権が人間の持つ(道徳的)義務から引き離されてしまった道は、諸君を善に導くことはなかった。・・・・義務の意識がなく権利のみを要求する結果、人間の利益と欲情の闘争の道へ、また相競って相互排除する権利の主張へと人間を押しやった。・・・・人間の義務は人権よりも深い。・・・・権利は義務から由来するものである

 

人権宣言」の「人権」の欺瞞は、それが自然法の権利(自然権)だとしている点にある。だが、「文明以前の自然社会」における未開人の権利(自然権)を「法秩序の支配する文明社会」に「人権」としてそのまま当てはめるのは論理的にも現実的にも不可能である。

 

このことをもっても、「人権」がいかに虚構で嘘であるかは明らかであろう。いやそればかりか、ベルジャーエフの指摘のとおり、「人権」が人間を低級に堕落させていくのである。

 

ベルジャーエフ曰く、

 

「(フランス人権宣言は)人間の権利、すなわち、奴隷、低級自然のもつ権利(未開人の自然権)を宣言している」

 

「<自然的>人間を解放すれば、生まれてくるものは悪だけである」

 

「人間が単なる自然的、社会的環境の相似にすぎず、外的条件の反射、必然の子にすぎないのであれば、人間には神聖な権利も、義務もない。つまり彼らにあるものは、利益と欲望だけである」

 

なお、国際政治や国際法における「人権とは、難民や全体主義の圧制下の人々やアフリカの部族間ホロコーストの続く国家の人々など、「国民の権利」が喪失したか「国民の権利」が存在しないか「国民の権利」がまだ生成していないかの不幸な人々に対して、せめて生存の保障だけでも提供してあげよう、内政干渉してその国家に守らせよう、とする問題である。つまり、「国民の権利」を有しまた歴史と伝統に基づく自由の存在する幸福な国家・国民が、「国民の権利」が夢のまた夢の不幸な人々に対してなす、人間としての倫理(道徳)性に基づく行為である。それらの不幸な人々が「国民の権利を享受できるようになるまで、動物ですら享受できる生存や生命を最低限度、保証してあげようというもの、それが「人間の権利」である。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 ●「人権」の放棄はテロルの終焉

 

 フランスで荒れ狂ったテロルの政治が終焉したのは、1875年の第三共和国憲法の制定からであった。この憲法はたった三本の憲法的基本法律であって合計三十四カ条である。フランス革命のうんだ1791年憲法の二百十八カ条(人権宣言の十七カ条を除く、第六篇を一カ条に換算)の七分の一という短さである。そして革命八十六年後の、この1875年憲法にはいかなる「人権」条項もまったく存在しない。ジャコバン憲法の人権宣言(1793年、三十五カ条、未施行)や1848年憲法の「市民の権利」(第二章、十六カ条)のようなものはその匂いすら消えている。フランスは初めて「人権」の桎梏から解放された。

 

 この結果、1789年から続いた暴動と大量処刑の約一世紀の暴虐の歴史からフランスは解放された。フランス国民にルイ十六世時代の“自由”が戻ってきたのである。この時フランスは漸く覚醒した。自由は「旧体制」の相続遺産である、と。しかも、バークの炯眼どおり、国家・民族の歴史において「自生」した限嗣相続財産である、と。

 

 すなわち、われわれがこのフランス革命の愚行から学び得た自由を守る叡智とは、次のオークショットの言葉に要約されている。

 

 オークショット曰く、

 

 「政治における自由主義者の営みは既に種の蒔かれたところを耕すこと、そして自由を達成する既にしられている方法だけでは確保し得ないような新たに提案された自由を追求する不毛を避けることにあると思う。政治というものは何らかの新しい社会を想像することでも、既存の社会を抽象的な理想に合致させるべく改造することでもなく、我々の現存の社会からほのかに聞こえてくる要求をより充分に実現するために今何をなす必要があるのかということを認識することであろう

 

 だが、翻って日本を見る時、「人権」はペスト菌のごとく猛威をふるって法に対しても正義に対しても蹂躙を恣にしている。例えば殺人の犯罪者が「人権」に守られているというより「人権」がその罪も罰すらも免除してしまう。

 

「人権」が法を無視して無法化を進めているのである。日本の「人権派弁護士」の狂気のごとき暗躍の成果である。そして、日本の「人権派弁護士」のほとんどが共産主義者であり、マルクス主義者であろう。

 

なお、前述のロベスピエールも「人権宣言」を信奉するその信徒たる弁護士であった。エドマンド・バークブルクハルトらは、弁護士とはすべからく政治(統治)から排除しなければならない人々である。弁護士とは政治を悪くし崩壊せしめても向上せしめることはない人々である、と烈しく断じている。

 

最後に、「人格無しの人権亡者」というsc恆存(ふくだつねあり191294年)の有名な人権批判で結びとする。

 

sc恆存曰く、

 

「これも人権、人権と騒いでゐるうちに人格(道徳)無しの人権亡者が輩出したお陰である。基本的人権といふと如何にも近代的で聞こえがよいが、その基底に個人としての人格(道徳)が無ければ、基本的といふ言葉は最低のといふ消極的概念に過ぎなくなる。事実、基本的人権といふのはその意味に他ならないが、それを恰も鬼のくびでも取ったような気で御大層な積極的概念に誤訳して用ゐて来た為、人格(道徳)無しの人権亡者が輩出したのである」

 

A迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」

 

 国家の政治における。(「国民主権」)などの主権の概念は、F・ハイエク(ノーベル経済学賞、政治哲学者)によれば、迷信であるという。

 

 ハイエク曰く、

 

 「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である」

 

 一言で言えば、現代国家の、国内法や国内政治において、主権(無制限の権力)などというものは存在し得ない。存在しえない(していない)のに存在しうると信仰すれば、たしかに迷信と言うしかない。

 

 主権が存在しえないのは、自由を価値とする政治は、立憲主義に立脚せざるをえないからである。立憲主義とは国家権力を制限することであり、それは“無制限の権力”を否定することにほかならない。一方、主権とは無制限の絶対的な権力のことである。このために、立憲主義は、必然的に、主権を否定し主権を国内政治から排除することになる。だから、立憲主義の国家の政治には、主権は存在しえない。また、存在させてはならない。

 

 とすれば、日本国憲法第一条にある「主権の存する・・・・日本国民の総意」も前文にある「主権が国民に存することを宣言」も“迷信”が二つも記述されていることになる。そして、この迷信は、「あらゆる主権の原理は本来、国民に存する」としたフランス革命の「人権宣言」(17898月)に発生する。

 

 自由主義の政治とは“法による政治”であって「人による政治」ではない。「国民主権」とは国民という「人」を絶対とするように、この「人による政治」の論理であり、未開的であり野蛮的であり、文明に逆行している。日本が迷信の「国民主権」を憲法に掲げながらかろうじて文明的な自由主義の政体とその政治社会を維持できるのは自由の淵源である天皇(国王)を立憲君主として戴くことによって「国民主権」の毒性を中和しているからである。

 

 主権の用語について、おおまかに類別すれば、国際法上の「国家主権(主権国家)」、ならびに国内政治上の「君主主権」「国民主権」「人民主権」、合わせて四つがある。ここでは、国際社会において国家が最高権力の主体であるとする「国家主権」の概念についてはとりあげない。

 

 すなわち、一つの国家の政治において最高の権力主体(「主権者」)は誰であるかを問題にする、「君主主権」「国民主権」「人民主権」の三つの主権概念を取り上げて、これら三つとも“法の支配”を一大原則とする自由主義の政治とは全く両立し難いこと、否むしろ極めて有害であることを再認識するものである。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 (A) 迷信の国民主権───文明の政治社会は、「国民主権」を廃棄する

 

 近代的な「主権」の概念は、フランス人ジャン・ボーダン153096年)の『国家論六巻』(1576年)をもって発祥とする。ボーダンが「主権」という国権の最高性を理論化したのは、

イ) フランス王国が神聖ローマ帝国とローマ教皇の教会権力に対して独立の地位を有する国家として確立することを目的とするためであった。つまり対外的な「国家主権」を確立するためであった。

 

ロ) 国内のカトリックVSカルヴァン(ユグノー)の宗教内戦と過激な権力をもつ地方の封建諸侯に翻弄されるフランス王国の国内統一のため、君主の絶対的優越性「君主主権」を正当化するためであった。

 そしてこのボーダンの理論から、国際法上の「国家主権」と国内法上の「君主主権」の概念が、それぞれ成長していったのである。

 

要するに、ボーダンの主権論は、ヨーロッパ封建時代におけるフランス王国の、重層し錯綜する権力を整理し、対外的にも対内的にもフランス王国(国家)の権力を明確に確立することにあった。このように主権の概念とはあくまでも近代の概念でなく前近代(封建時代)の概念であり近代に至るための概念であって、近代が確立すれば不要にして不適合なものである。だから、対内的な「主権」概念を近代においても堅持することは、その国が前近代的な政治に執着することであるから、この前近代の「主権」概念を近代に接木・合体することをすれば、必然的に政治は乱れ、政治の反文明化(反近代化)と退歩がもたらされる。

 

 フランスについて言えば、近代の“国家”となったとき、具体的には歴史的転換点であった三十年戦争の終結のためのウェストファリア条約1648年)をもって、無用の長物と化した対内的な主権論の方は直ちに廃棄すべきであった。「主権論の父」ボーダンが生きていれば、そうしただろう。

 

 ところが、人類にとって不幸なことにその後の歴史において二つの事態が生じたのである。

 

イ) 第一の不幸は、十七〜十八世紀の「君主主権」論が、ルイ十四世の時代に、ボシュエなどの未開的で前近代的な王権神授説の流行によって堕落したことであった。君主の地位は「自生的秩序」であって、日本の天皇のように歴史的経過そのことに正統性が存在し安定していくものである。不要となった「主権」の概念の「廃棄」を早急にすべきであった時にそれに逆らったボシュエらの罪は大きい。「主権」は政治権力の構造を変革する“力”がある。“力”は安定や法秩序もつくれば、その逆の破壊もする、両刃の剣である。安定的で変革が不必要なときには、「主権」のドグマはその政治社会にとって危険な凶器となる。

 

ロ) 第二の不幸は、廃棄(抹殺)すべき国内法上の主権論が廃棄されずに非近代的な王権神授説などの阿諛追従の学に堕して腐敗して時間を空費している間に、「君主主権」を転倒させた、反・君主(反王制)の「人民主権という凶悪な宗教的教義(ドグマ)が創設されてしまったことである。堕落し腐敗した「君主主権」の概念が転倒され、この「君主」を「人民」に単に置き換えただけの邪宗教(カルト)のドグマである狂気の「人民主権」の概念が発生してしまったのである。そして、「国民主権」とは、フランス革命の第一幕において、この過激な「人民主権」を、若干、穏健化・現実化したものである。

 

ところで、近代の国内政治において「国民主権」を是とするのであれば、それは迷信であり、神話である。こう論じるのは、(同じ理論からではないが)何もハイエクにとどまらない。フランスの法学者レオン・デュギーもこれを説いている。デュギーの世界的名著である『公法変遷論』(1913年)の第一章は、これのみを論究している。

 

デュギー曰く、

 

「フランス革命という宗教の基本ドグマは、国民主権の原理であった。単なる歴史上に発生した事情(=君主主権打倒のための煽動的な宗教的ドグマ)によって生まれた偶然の所産にすぎぬ国民主権の原理がそれ以降も生き続けているのは、その後の人々がこれを宗教の信仰箇条として受容したためである」

 

「国民主権のもつ神話的な性格(宗教的信仰)が、(元来は短期間で消えるものなのに)その長い持続的な生命力をあたえたのである」

 

「この事情がもはや消滅した(=君主主権が打倒された)とき、国民主権の概念も消滅しなければならない」

 

「国民主権が行動と進歩の原理として創造的な価値をもっていた時代は既に去った」

 また、デュギーは、「国民主権は明白な諸現実や諸事実と矛盾する」という。この現実との矛盾とは、

 

イ) 国民主権は国家と国民との正確な一致を前提とするもの(ルソーの立法者の「一般意志」と国民のそれへの盲目的隷従)であるのに現実はそうはなっていない(多数者主権の専制により少数者の主権が無視される=「主権」概念の自己矛盾)。

 

ロ) 国民主権は主権である以上“不可分”でなければならないのに他民族の地方分権国家(オーストリア・ハンガリー帝国、連合王国など)や連邦制国家(米国、スイス、ドイツ帝国など)の現実は“不可分”は存在していない。(=国民主権は国家と国民が直接的に繋がっている“不可分である”ことが前提であるが、地方分権国家や連邦国家は国家と国民の間に地方権力や州権力が割って入り、主権を制限している“不可分は存在していない”という矛盾

 

つまり、「国民主権」などという概念は、たしかに迷信であり神話である。存在しえない。だから幽霊である。

 

しかし、この迷信の呪縛にこだわるかぎり、「主権と統治権は分離すべきである」──“無制限の権力である主権は全国民がもっている”のになぜその国民が“国家(政府)の統治を受けなければならないのか”という矛盾に対する言い訳──とか、「権力の正統性と現実の権力との関係は分けて考えるべきだ」──国民主権であるから“権力の正統性は全国民にあるはず”なのに“なぜ現実の統治権力は国家(政府)だけが握っているのか”という矛盾に対する言い訳──など、不毛にして無意味な詭弁(レトリック)を次々に発明していかざるをえなくなる。

 

真正自由主義の政治における統治の権力は、法によって制限を受けるし、権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約も受ける。つまりそれ(統治の権力)は、主権という最高性、独立性というものとは両立していない。このため、主権をもって、この統治権を統一的に表現する根元であるとか、統治権を正当化する根拠であるとかの法技術的な説明を展開せざるをえない。ということは、「無制限の権力」と定義されていたはずの主権が、「統治権の根元」などと全く別の次元の定義にすりかえられている。つまり、主権の定義は成立しえない。定義ができないということはそもそも存在していないからである。

 

もともと政府の統治権については、先祖からの叡智が積み重ねられた歴史の産物であって、それをわざわざ国民が附与したとかの架空のドグマで理屈をつける必要などないはずである。現存する国民が生まれる前からその国家には政府があり統治が存在してきたのであるから、国民の主権において統治が生じた(社会契約によって国家がつくられる)というのは虚偽であり妄想である。

 

日本の歴史においても、奈良時代の律令政治、平安時代の藤原家の摂関政治、鎌倉時代の鎌倉幕府による執権政治、室町時代の足利家による室町幕府、戦国時代の下克上による豊臣秀吉の天下統一(豊臣家による政治)、江戸時代の徳川幕府、明治維新における明治政府の樹立から昭和時代の大東亜・太平洋戦争まで、日本国の統治権はその壮大な歴史の偶然性と神秘性及びこれらの時代を一貫して貫く国家君主である天皇への畏敬・尊崇の心が自生的に発展して形成されたものであり、「国民の主権」において統治権が生じた(国民の社会契約によって国家がつくられた)ことなど一度もない。

 

この千数百年にわたる日本国(自国)の歴史を一切無視して、「国民(自分)が無制限の権力者(国民主権)であり、統治権の根拠である」と妄想する現代日本国民はあまりにも欺瞞にみちている。また、存在もしない国民主権と日本国憲法におけるその規定自体が立憲政治(法の支配)における自己矛盾であることを戦後六十数年もの間放置しているのは日本国民と日本国政府の無知と幼稚と怠慢以外の何物でもない。もし仮に、それを熟知していて放置してきたのであれば、傲慢を超えて既に犯罪の領域である。

 

このように、何らかの意志によって国家の政治システムが出来上がっており、かつ人間の意志によってそれが管理されていくと解釈するのは、ハイエクによれば、未開の原始人的思考によるもので、「人による政治」から“法による政治”へと進化したはずの近代を逆行させ、“法による政治”を否定し「人による政治」という野蛮へと退化させる道となろう。実際、日本国では戦後政治の下で経済的(科学技術的)発展は遂げてきたが、国民の精神の型=道徳はまさに野蛮への退行傾向を示していないだろうか。

 

ところで、デモクラシーの一大欠陥は、デモクラシーそのものが国家権力を制限する機能があると逆さまに錯覚されていることであり、もしこのような錯覚を信仰するならば国家権力の抑制という立憲主義を否定することになる。デモクラシーとは国民というデモス(民衆)によるクラシー(支配・政治参加)であるから、立憲主義に正しく従えばこの国民というデモスの権力にこそ制限を加えなければならない。なのに、「国民主権」を導入して単一の無制限の権力を逆にこの国民(デモス)に与えるとすれば“国民(デモス)の支配・政治参加(クラシー)”の暴走を促し、全体主義の道に至る。立憲主義は死に至る。実際ヒトラーのナチズムなどの全体主義はマス・デモクラシーから出現した「国民主権」を排したデモクラシーのみは機能するが、「国民主権」を掲げてこれを狂信するデモクラシーには暗黒の政治が到来する。だから、ハイエクの次の言葉を、「国民主権を是とするデモクラシーは・・・」と読むとき、それが至言となるのである。

 

 かくして、共産党の人民民主主義の政体より、スペインのフランコ将軍の専制政治の方がはるかに優れているのは自明なことである。

 

 ハイエク曰く、

 

 「無制限(国民主権を是とする)の民主主義(デモクラシー)は、民主主義とは別の制限された政府より、悪い

 トックヴィルも曰く、

 

 「人間の堕落を防止するためには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである」

 と述べ、「国民主権」のデモクラシーがいかに誤謬に満ちたものか、いかに危険なものかを説くのである。

 

 ベルジャーエフもまた、「国民主権」こそが、人間も国民も否定してしまうと警告する。

 

 ベルジャーエフ曰く、

 

 「国民主権のなかでは、国民は滅亡する。国民は機械的量のなかに埋没し、自分の有機的、全体的、不可分的精神をその中で表現することができない。国民はただ、非合理的にのみ、自己を表現する。国民主権のなかでは人間も滅亡する

 

 「国民主権は、人間主権である。人間主権はその限度を知らない。そして人間の自由と権利を侵犯する

 西ヨーロッパの国々のデモクラシーが、世界的に見れば最も「先進的」とみなされ世界の範とされるのは、いずれも封建体制の過去があり、王(君主)制の伝統もしくはその遺物をもっているからである。君主(王)制度の遺制が、「国民主権」の毒性を中和するからである。米国は、王も封建遺制もないがこの西ヨーロッパと同様であるのは、米国憲法がJ・ロック流の「人民主権」などの「主権」概念を完全に否定して国民に対して与えなかったからである。ハンナ・アレントも、米国は「主権を徹底的に廃止した」と、次のように強調している。

 

 ハンナ・アレント曰く、

 

 「政治それ自体における偉大なそして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして人間事象の領域においては、主権と暴政とは同一のものであると洞察した

 

 国家の政治が法秩序(自由)を基軸として機能していくためには、宗教的ドグマであるルソー的「人民主権」はむろん迷信の「国民主権」すら、存在してはならない。イギリスの政治が近代を迎えて文明の政治として安定したのは、「権利の章典」(1689)が、ホッブズやロック流の「人民主権」論のような「主権」概念のすべてを国内政治から排除したからである。

 

 デモクラシー──デモクラシーの正確な日本語訳は「民衆支配」あるは「民衆参加政治であり、「民主主義」と訳すのは誤訳である。デモクラシーは「主義(ism)」ではない──は、迷信の「国民主権」と狂信の「平等」ドグマが化学反応して誕生したものであるから、それは準・宗教的な性格をもつ。準・宗教であるから純宗教の全体主義へと変質するのは容易である。「国民主権」を是とするような未開的あるいは純・宗教的なデモクラシーは、この英米の叡智に学び断固として排さなければならない。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

(B) 反・人民の「人民主権」───狂信の宗教

 

 「人民主権」はルソーによって創造され完成されたドグマであり、フランス革命に初期にあってルソーの信奉者の一人であるシェイエスらによって広くフランス全土に浸透した。

 

 ルソーの「人民主権」は、君主を主権の主体だとする「君主主権」論の迷信とも、「国民を主権の主体だとする迷信」(デュギー、ハイエク)とも次元を異にする。「君主主権」の迷信や「国民主権」の迷信は、いずれの概念も、現実の政治から乖離し【自由主義の政治原則】とも矛盾するのに、これを自由のある政治の発展と向上に有用だと逆さまに誤解するが故に迷信(準・宗教的な信仰)である。

 

 だが、ルソーの「人民主権」は、【自由主義の政治そのものを崩壊せしめる】ための現実的な教理(迷信でない教理)であり、自由主義を改造して全体主義国家を創造するための麻薬であるため質が悪い。

 

 ● 国家の宗教団体化

 

 ルソーが『社会契約論』(1762年)で論じた「人民主権」は“人民による政治”を理想としたものでも目標としたものでもない。ルソーはロベスピエールやバブーフがこれを継承していくように、激越な人民蔑視論者である。『社会契約論』で、ルソーが主張したかったのは、あくまでも“独裁者による政治”それ自体であって、それ以外ではない。以下、「国民主権」と比較するために、ルソーの「人民主権」について述べることとする。

 

 ルソーは言う、

 

 「盲目の群衆(=人民)は、何が自分たちに利益となるかをめったに知らないために、しばしば何を欲するのかわからないのであるが、彼らはどのようにして、立法組織のような、大規模な困難な事業を自分で行うのだろうか」

 人民が立法(国会)に参画することなど夢想の極みであって非現実であり、決してそうさせてはならない、これがルソーの真意である。

 

 ルソーは言う、

 

 「個々人(私人として)は利益(ルソーの考える理性)がわかってもこれを排斥し(私益に走り)、公衆(公人として)は利益(ルソーの考える公益)を望んでも、それがわからない。両者とも等しく指導を必要としている。個々人については、彼らの意志を理性に合致させるように強制し、公衆については、何を望むか(何が公益か)を知ることを教えなければならない

 

 ルソーは、人民を教導し人民に強制する「立法者」(独裁者)なしには「人民主権」の国家は存立できない、と主張しているのである。ということは「人民主権の国家」=「独裁者(立法者)による全人民に対する絶対的なる全体主義体制」であると、ルソーは考えているのであって、人民が何らかの形であれ政治に口を出すことを断固として拒否する理論、それが『社会契約論』の本旨である。そしてルソーはその理想とする独裁体制の独裁者のことを「立法者」と名付け、それは国家の非凡な人間で国家の構成のなかには位置を占めない特別な高級機能と定義する。

 

 「立法者」=「国家の構成(統治機構)の枠外から絶対者としての法の制定を専横できる人間と」するのは、それは「立法者」=「神託を感受できる人間」にほかならならず、「立法者」としてルソーはギリシャのリュクルゴスやヘブライのモーゼなどをイメージしている。(そして、自分をイメージしているのである。)

 

 ルソーは言う、

 

 「この(=立法者の)崇高な理想は世俗的人間の理解の力を越えたものである。立法者は、人間的な思慮分別では心を動かすことのできない人々を神の権威をもって導くために、神々の口をかりてこの理性の決定を伝えるのである」

 

 ここで注意が必要なのは、ルソーが「理性の決定を伝える」と言っていることで、これはルソーの考える「神」が一般通念上の宗教の“神”ではなく、「宇宙万物を貫く理」のような抽象的概念であるということである。

 

 ルソーが、この「立法者」による独裁政治を政治の理想と描いていることは、その「人民主権」概念の真の核心を明らかにする。

 

 『社会契約論』によれば、まず、ルソーの言う社会契約」とは、「人民が自分のあらゆる権利あらゆる自由を生命も含めて共同体に譲渡する」ことを言い、この「社会契約」によって成立する共同体を「人民主権の国家としている。

 

 次に、この「社会契約」をなしたこの共同体において、個々の「人民(市民)」の意志すべては完全に一致していて「一般意志」を形成するとルソーは言う。この詭弁によれば人民の「一般意志」を至高としてこれに基づく国家権力の行使はいささかも個々の人民の意志に反するものはなく、完全に一致したもの以外は存在しないことになる。

 

 さらに、ルソーにおいて、主権とはこの至高の「一般意志」のことであり「一般意志」とは人民すべての意志であるから、「一般意志」と表裏一体をなした国家権力による政治すなわち「人民主権の政治」は、人民すべての意志と合致した政治を実現することになる。

 

 神のごとき「立法者(独裁者)」による独裁政治を理想としながら、これをもって「人民主権」の政治であるとするのは、健常者には矛盾に思えるが、強度の統合失調症であったルソーの論理は明快で何ら矛盾はない。

 

イ) ルソーは「人民すべての意志(一般意志)と合致した政治」を理想とし、これを「人民主権の政治」と定義したのであって、“人民による政治”などを理想だと主張していない。ルソーは“人民による政治”を唾棄するべきものだと罵倒している。ルソーはあくまでも人民の一般意志」を唯一正しく理解している「立法者」の独裁によるしか理想の政治は実現しないと主張しているのである。

 

ロ) 立法を専横にする独裁者による独裁政治であるなら、それは古来人類の歴史に幾多も例があるが、ルソーの理想とする独裁政治がこの種の独裁政治とまったく異なって「人民主権の政治」となるのは、この独裁者が(人民の主権である)「人民の一般意志」を体得していてこの「人民の一般意志」のみを人民に強制するからだという。

 

以上を簡潔にまとめると次のようになる。

 

まず、「人民が自分のあらゆる権利と自由を共同体(国家)に譲渡」した時点で各人民の主権も国家に譲渡され、全人民の主権は国家に集約されている(実はこの時点で、各人民個々に主権はなくなっている)。国家に集約された全人民の主権の中から、神のごとき「立法者(独裁者)」が「一般意志」を感受し、それを国家権力を通して法律(命令)として人民に与えるということである。よってこの法(命令)は集約した全人民の主権に反するものではないから、この国家は「人民主権の国家」であるというのである。そして、人民はこの法(命令)に対して不服従の自由はない。なぜなら権利も自由も国家に譲渡してしまっているからである。

 

このように「人民主権」とは学問上の概念ではないし、政治の概念でもない。それは、宗教的信条の一つである。しかも狂信的な信仰なしには成り立たない、邪宗教(カルト)の概念である。

 

 とすれば、この「人民主権」の派生体で、これからうまれた「国民主権」は、その両親<上記のイ)、ロ)>に当たる「人民主権」の宗教性を緩和したものであっても、親の遺伝子を体内に孕んでいる。かくして「国民主権」が「人民主権」を孫として隔世遺伝的に生み出す確率は決して低くない。

 

 十六世紀末のボーダンの主権論が無秩序を矯正して、“法による政治”の近代への道をつくりながら、その亜流である「人民主権」によって、二百年後の十八世紀末には文明の社会は破壊され野蛮へと暗転して血と無法の国家へと退行せしめられたのである。それが新宗教創造運動としてのフランス革命であった。

 

 1917年のロシア革命とは、17947月末の「テルミドールの反動」で挫折したロベスピエール/サン=ジュストらの直系の子孫たるレーニントロッキーによるこの「人民主権」革命の継承であり、再現であった。挫折したロベスピエールの新宗教国家の創造を再度目指した第二次フランス革命であった。

 

 だから、フランス革命と同様に「人民主権」の共産ロシアから“法(Law)”が消えスターリンだけでも四千万〜七千万人の大量殺戮という無法の極みなしにはその体制は維持できなかった。「労働者(プロレタリアート)と農民」の国家ソ連は、かくして「人民の牢獄」となった。共産ロシア、その支配下の東欧、あるいはスターリンがつくった共産中国、北朝鮮、共産ベトナムの人民の惨たる悲劇は、「人民主権」のドグマに忠実であるが故に生じた現実であった。

 

 要するに対内的な主権論とは、近代以前では秩序形成の薬であるが、近代以降の政治にあっては血と無法をもたらす無限の毒性をもつ劇薬である。

 なお、レーニンによる共産ロシア(ソ連)を宗教国家と断じているケインズハイエクの視点を紹介しておこう。

 

 ケインズ曰く、

 

 「レーニン主義は、偽善者に率いられて迫害と宣伝を行っている少数の狂信者の信仰である・・・・。レーニン主義は宗教であって、単なる政党ではない」

 

 ハイエク曰く、

 「過去に何千、何万という宗教が創設されたが、その多くは“私有財産と契約”を認めなかった(私有財産<逃げ帰る家がある>と契約<契約を破棄すればすぐ改宗出来る>を認めることは宗教の信仰の持続に妨げになるから)。それを認めなかったものはすべて滅び、長続きしなかった。共産主義と呼んでいるものもこの迷信ないし宗教に入れてよい・・・・」

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 ● フランス宗教戦争(156298年)と「人民主権」──政教分離の原則

 

 ルソーの「人民主権」論が国家の宗教団体化・修道院化のことであるのは、スイスのジュネーブ出身のルソーがカルヴァン教の強い影響下にあったことにも起因していよう。例えば“王殺し”の煽動書である『人間不平等起源論』などのルソーの政治思想はカルヴァン系のモナルコマキの系譜に立っている。

 

モナルコマキは「暴君誅戮論」と日本では訳されているが、意訳しすぎである。ここでいう王とは、「暴君」という政治上の王ではなく「異教徒の王」という意味である。「異教徒の王」を戴くことはできない、「異教徒の王」を弑逆せよ、という宗教戦争の用語、それがモナルコマキである。

 

カルヴァン系のモナルコマキとしては、モルネとランゲ共同執筆の『暴君に対する反抗の権利』(1579年)やオトマンの『フランコ=ガリア』(1573)などがそれにあたる。いずれも、ユグノー(カルヴァン派)貴族が多数殺された1572年の聖バルテルミの大虐殺を機に相次ぎ出版された。モルネは国家の統治を王と人民団の口頭契約とみなし、よって王が神法・自然法に反する統治を行った場合、この契約が消滅するから、人民団の王への服従の義務は無くなるとするものである。

 

 この理論においては、口頭契約が王権の根拠となり、人民団側がその地位を与えているのであるから、王に対する監視や裁断の権利が人民団に留保されることになる。そしてこれは、最高不可侵で他に譲渡できないから、人民固有の「人民主権(の原初的概念)」と呼ぶべきものとなる。

 

 しかも、この契約が神の前で行われるという擬制を前提とするから、王の統治者としての義務違反は神の名において弾劾でき、この王弾劾は信仰者としての聖なる行為とみなされ、人民団による王殺しの教理へと発展していく素地となった。“王殺し”という宗教的儀式を聖化する悪魔の論理に成長したのである。

 

 フランス革命やロシア革命のような「人民主権」の革命には“王殺し”という儀式が不可欠になっていく。この教理の原点は、このフランスの宗教内戦の十六世紀後半にある。「人民主権」が政治の概念でなく血腥い宗教の概念を帯びているのは、このことからも明らかだろう。

 

 モナルコマキは、カルヴァン側からだけでなくカトリック側も同様に展開する。みずからの宗派の国王をもつには、他宗派の国王追放の論理は不可欠だからである。ただ、カトリック系のモナルコマキも簡単に言えば、主権は元来人民にあって、そのあと君主に委譲されたという聖トマス=アクィナスの教理を直接援用するから、それなりに過激であった。

 

 いずれにせよ、このような血塗られた宗教戦争に終止符をうち、平和を回復するためには国王の統治に国民が服するしかないのであり、ここに前述したボーダンが「君主主権」論(1576年)にかけた悲願があった。(カルヴァン派からカトリックに改宗した)アンリ四世(在位15891610年)の治世で、このボーダンの理論が活き、1598年のナントの勅令(アンリ四世がナントで発した勅令。カルヴァン派プロテスタントであるユグノー教徒に対し、信仰の自由とカトリック教徒と同等の政治的権利を認めたもの。これによりユグノー戦争は終結した。)の効果とともに、やっとフランスに平和が再来したのである。

 

 ところが、ルソーがこのせっかくの「君主主権」論を転倒して「人民主権」論を構築したから、フランスに、その二百年前の宗教戦争がタイム・マシーンで戻ったごとく再現されてしまった。フランス革命である。フランスは新宗教(カルト)創造の運動とテロルの国土となったのである。

 

 このように十六世紀フランスのカトリックVSカルヴァン派(ユグノー)の血塗られた宗教戦争の血を継ぐ十八世紀の「人民主権」論には秩序と安定の政治思考がまったく欠如している。国家の統治は国内の平和な法秩序を第一の目的とするものである以上、血の報復を呼びかける煽動のドグマとしての「人民主権」論は、国家の統治論としては最優先に排除されるべきものである。

 

 また、国家の統治における「政教分離」の原則は以上の宗教戦争の背景から発生したものであり、「政治が宗教に関与(ナントの勅令など)してはならないのではなく、宗教が政治を支配(モナルコマキなど)してはならない」という意味である。とすれば、異教徒の「王に対する聖戦」の理論ともいうべき宗教戦争の宗教的ロジックとして発展した「人民主権」論は、「政教分離」の近代政治の一大原則に従って、国家の政治に闖入させてはならないのである。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

B平等主義──自由抑圧の擬似宗教

 

 (A) 自由と平等の二律背反

 

 平等は、「法の前の平等」を例外として、自由と両立することはできない「法の前の平等」のみは自由を擁護し自由と両立するが、それ以外のすべての平等は人間の自由にとって常に危険なものである。

 

 平等とは、社会の個人個人を(相互の上下的な従属関係を潰して)水平的にそれぞれ独立させるものである。それはこの個人個人が相互に孤立し、原子化(=原子とはギリシャ哲学で、これ以上不可分と考えられた事物を構成する微笑存在。アトム。ここでは、国家(社会)を構成する最小単位である個人に単一化)することになる。つまり、平等社会では個人個人を結合させている紐帯が溶解し個人個人はバラバラとなる。人間は水平的に原子化(単位化)されることを本能において欲しない。

 

 だから、この孤立した各個人を国家がその権力の強制によって社会学的に再集合させることが正当化される。例えば、「プロレタリアート」という各個人を国家権力により集合させ新型の国家創造の試み(実験)である。それは、人間をロボットや羊の群れと同一視しての社会学的再集合化、つまり全体主義体制への第一の過程である。平等社会は、いつでも全体主義体制に転換しうるものであり、平等主義と全体主義とはコインの裏表である。

 

 また、平等化とは、「人間は生まれながらにして平等である」ではなく「人間は生まれながらにして不平等である」ことを最も痛切かつ最も狂信的に認識することから、国家権力の統制によってこの不平等を平等化しようとする働きである。だから、平等化は必ず国家権力の強大化を要求し、ここにおいても必然的に全体主義に至る道が開かれる。例えば累進課税など所得の再配分(所得の平等化)とは、より高い所得をうる才能をもつ「少数」のその努力と幸運に対して、公権力によって「逆・不平等」の強制を強いるものである。これが、平等の全体主義に至る第二の過程でもある。この累進課税のケースは、上記の「少数」に対する自由の侵害であるように、平等化は自由への侵害なくして、決して達成できない。

 

ベルジャーエフの次の指摘は真理である。

 

ベルジャーエフ曰く、

 

自由と平等の間にあるものは、和解できない敵対的矛盾である。・・・・自由は何よりも不平等に対する権利である(=不平等を認める権利である)。平等は何よりも自由(不平等)に対する侵害であり、自由の制限である。・・・・平等は自由を貪り食ってしまう

 

なお、平等主義者のスローガン、「人間は生まれながらにして平等である」という詭弁は彼らの累進課税と相続税の肯定の主張に見るように、平等主義者こそが「人間は生まれながらにして不平等」を心底から確信しているのであるから、平等主義者というものがいかに虚偽の宣伝・煽動・詭弁をなす偽善者であるかを余すところなく証明している。

 

まさしくハイエクの指摘するとおり、「人々が平等でないからこそ、われわれは人々を平等に取り扱うことができる」のであって、「もしすべての人の資質と傾向が完全に等しい(=生まれながらに平等)のであるとすれば、何らかの社会組織をつくる(=上下関係や不平等が必ず生じる)ために、われわれは人々を別様に(=差別的に・不平等に)取り扱わねばならない」のである。裏を返せば、「われわれは、不平等であるから、不平等を認めるから文明社会を構成でき、その中で生存できる、生存場所を見つけうる」のである。

 

要するに「法の前の平等(=自由の容認)物質的平等(=自由の制限)とは、異なっているばかりでなく、互いに対立する。そしてどちらか一方を達成することはできるが、同時に両方を達成することはできない」のであるから、自由のために、われわれは、「法の前の平等」を優先して物質的平等(を図ること)を否定することに絶えず心掛けなければならない。物質的不平等は、感情において羨望・不満や同情を招くものだが、この物質的不平等をもって社会的“悪”とみなすことは間違っている。むしろこのような考えこそ、自由主義社会に対する反社会的ドグマである。貧困は“悪”ではないし、富裕も“悪”ではない。人間としての精神は、物質には無関係である。人格の高貴性は、騎士道・武士道にも見られるように、貧においても富においても、輝くことができるのである。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

● ルソー/ヘーゲルの「自由の詭弁」

 

平等と自由が両立せず、しかも平等化の最終地点(完全平等化)が自由ゼロとなることは、自由主義者も全体主義者(=共産主義者/社会主義者)も共に認める一つの普遍的な真理である。このため、全体主義者は“自由”ゼロ=「自由」だと詭弁する、“世紀の詭弁”そのものを世俗神学化することに精力を注いできた。ルソーの『社会契約論』であり、このルソーの忠実な後継者であるヘーゲルの『歴史哲学』もその一つである。

 

ヘーゲルは言う、

 

「法律に服従する意志だけが自由である。それは、その意志が自分自身に服従することであり、その点で意志は自分自身のものとなり、自由なのだからである」

 

(ルソー的翻訳)

 

「立法者」の発する「一般意志」に服従する「特殊意志」だけが“自由ゼロ”=「自由」である。それは、その「特殊意志が」が「一般意志」に服従することであり、その時点で「特殊意志」は「一般意志」に同化し、“自由ゼロ”の「自由」が達成される。

 

※「特殊意志」とは、「立法者」の絶対的命令である「一般意志」に対し、僅かに個人(私人)に許される「自由意志」のこと。

 

ヘーゲルは言う、

 

 「国家、祖国が生存の共同体を形成することになり、人間の主観的意志が法律に服従することになると、自由と必然との対立は消える。理性的なものは実体的なものとして必然的であるが、この理性的なものを法律として是認しこれをわれわれ自身の存在の実体とみて、これに従う点でわれわれは自由である」

 

(ルソー的翻訳)

 

国家、祖国が生存の「共同体」(=個々人は、権利も自由もすべて共同体に投げ渡す)を形成することになり、人間の「特殊意志」が「立法者」の発する「一般意志」に服従することになると、“自由ゼロ”の「自由」と“不服従の権利ゼロ”の「平等」は対立せず併存できる。

“不服従の権利ゼロ”の「平等」は実体的なものとして必然的なものであるが、この“不服従の権利ゼロ”の「平等」を「一般意志」として受け入れ、この「一般意志」をわれわれの自身の存在の実体とみて、この「一般意志」=“不服従の権利ゼロ”の「平等」に服従することが、われわれの“自由ゼロ”の「自由」である。

 

ヘーゲルは言う、

 

「客観的意志と主観的意志とは融合し、ただ一個の曇りのない全体となる

 

(ルソー的翻訳)

 

「一般意志」に「特殊意志」が吸収・融合し、ただ一個の曇りのない「一般意志」となる。(ルソーの「一般意志」と「特殊意志」を弁証法的に表現しただけ)

 

このように、『歴史哲学』の論究とは、ヘーゲルが、個人はその自由すべてを国家捧げること(国家「一般意志」の命じるままに服従すること)、つまり個人の“自由がゼロ”になって国家(=「立法者」の発する「一般意志」)のみが自由を独占することが国民の「自由」なのだと断定しているのである。そしてこの『歴史哲学』はルソーの詭弁をドイツ観念論的に意味不明の高尚な哲学論のように気取って見せながら、書き直したコピーにすぎないのである。

 

タルモンは、このように、自由の概念が、近代以降(ルソー以降)に“自由”と「自由」という正反対の両極に分裂しているのを次のようにまとめている。正しき“自由”狂った「自由」の両極である。

 

タルモン曰く、

 

「(自由主義者と全体主義者)双方とも自由が何にもまさって大切だと言いきっている。しかし、一方(=自由主義)が自由の本質は自己の発意にあり、他から強いられないことにあるというのに対し、他方(=全体主義)は絶対的、集団的目的(=「立法者」による「一般意志」)を追求し、これを達成する以外には自由の実現はないものと信じる」

 

“自由”とは、他から強制(圧迫)されない保護された個人の活動空間である。そのための方法の第一は、国家権力が各人から遠ければ遠いほど小さければ小さいほど自由は保障される。ポパーも、「自由の理念とは、支配や統治が可能な限り少なくあるべき」こと、と定義している。

 

バーリンは、このような“自由”をもって(国家権力が自主的に権力を小さくすることに頼る意味において)「消極的自由」と命じた。

 

支配や統治を可能な限り小さくすることは、むろん、国家権力ゼロという無政府を是とするものではなく無政府は逆に自由の敵である。なぜなら、カントが指摘するように、各人の自由が他のすべての人の自由と両立できるその限度以上に大きくならないように国家権力による各人の自由を制限することが必要だからである。つまり、「法の下の自由」の“法”をつかさどる権力がどうしても必要だからである。

 

すなわち、各人の自由を守るための第二の方法とは、国家はすべての各人の自由を守るためにこの各人に強制力を振るう他の集団や他の個人に対してそれを妨害してやる役割を担うことである。国民の自由と国家の関係は自由市場と国家の関係に似て、無政府的な完全自由市場(レッセ・フェール)は自由市場を自壊させるが、制限された適切な政府介入(強制力)によって自由市場が円滑かつ安定に機能するのと同様である。国家の強制力の無制限も、その逆のゼロも、自由にとって絶対に排除されなければならない。一方この中間の、制限された小さな国家権力は、自由にとって欠くことができない。

 

しかし、“他からの強制(圧迫)のない保護された個人の活動空間”としての正しい“自由”は、フランス革命の掲げる平等によって決定的に変質した平等のドグマが、民衆による政治参加を「政治的自由」だと狂信し、民衆による政治参加そのことが自由の主たる意味となったからである。民衆の政治参加とは、それ以前の政治が王侯・貴族の独占であった体制をうち破り、政治の主体が平等に民衆に分与されたことだから、「政治的平等」であって「政治的自由」ではない。政治参加そのものは自由とは異次元のものであるが、このことにフランス革命の人々は気付かなかった。

 

 政治を独占していた王侯・貴族の政治に対する関与とは、長い封建時代を通じて、権利としてではなく義務となっていた。よって、王侯・貴族と平等に民衆も政治参加することは義務であり、そのぶん民衆各個人の“他からの強制(圧迫)のない保護された個人の活動空間”は減ったのであり、みずからの自由の縮小であった。新しい平等を得るために、保持していた自由の一部を棄てたのである。

 

 しかも、平等の神聖視は、民衆の政治参加(デモクラシー)の絶対視を限りなく推し進めることを可能とし、その結果、ヘーゲルの主張のごとき、個人が国家と一体化する“究極の政治参加”(“自由ゼロ”)が「自由」だということになり、それは“他からの強制(圧迫)のない保護された個人の活動空間”の完全な喪失という“自由”のゼロ化を生じることになる。ドイツのナチズムとは、ヘーゲル理論の忠実な実験でもあった。隷従と強制のみの全体主義とは、ナチズムだけでなく、旧ソ連や北朝鮮などの選挙投票率九十九パーセントが示すように、政治参加の義務を、少数の伝統的な家系に差別的に附与することをやめて」平等にすべての民衆に分与する完全平等化(という虚構)によって生じたものである。トックヴィルの名言「平等は隷従の道である」は至言である。

 

 国民の政治への直接的参加を阻む代議制は、だから各国民の“自由を守る砦”なのである。十七〜十八世紀を通じ、英国はこのことを正しく認識しえたのである。少数(エリート)による“開かれた代議制”、それが、“自由”が「自由」に反転して全体主義になって“自由”が消失しうる危険をなくしうる唯一の政治形態である。“開かれた代議制”は、全体主義への転落を阻止する、いわゆる自由社会の智恵である。

 

 一方、平等による政治への直接参加は、民衆をして絶えることのない政治要求をなすことを「権利」として認めるために、自由社会の政治は絶えることのない変革を余儀なくされる。それは、伝統的秩序を崩壊させていくので、自由社会は無秩序に向かって腐食することが避けられないし、この伝統的秩序の存在においてのみ安定的に存在しうる自由そのものを当然ながら危ういものとする。それだから、代議制の否定である直接参加は、基本的に全体主義の一里塚である。

 

 ルソーやヘーゲルの「自由の詭弁」は、ルソーやヘーゲルこそ一般通念の“自由”が平等とは二律背反して両立できないことを知っていたことを示すものである。つまり、(自分が「一般意志」を感知できる非凡な天才であると考える彼らは、“自由”が彼らが、「一般意志」を感知できないと見下す愚鈍な民衆たる人間の社会に存在することを絶対に許せないのであり、彼らのこのような宗教的な信条が「自由の詭弁」をつくったのであろう。

 

“自由”にとって不可欠で唯一例外的に正しい“平等”である「法の前の平等」すら、ヘーゲルは詭弁を弄しながら全面否定する。それは、「法の前の平等」という概念が暗黙のうちに“自由”許容していることを見抜くからである。

 

ヘーゲル曰く、

 

「市民が法の前に平等であることは偉大な真理を内包している。・・・・しかし、具体的に見れば、市民は、・・・・法の外においても平等である点でのみ、法の前で平等である。財産、年齢、等々における平等のみが、法の前で平等な取り扱いを受けることを可能とする」

 

(解 説)

 まず、「法の前の平等」とは、「人間は、(法の外の)財産・年齢・身分・性別等々の不平等(=“自由”)に関係なく(法の前では)平等に取り扱われる」ということである。

 

すなわち、ヘーゲルの言う「偉大な真理」とは「(法の外では)“自由”を前提として認めているという真理」である。

 

 しかし、法の外の“自由”を認めたくないヘーゲルは、この「不平等(=自由)に関係なく」という文言を詭弁的に「平等においてのみ」と読み替える。

 

そして、さらなる詭弁は、この「平等」とは全市民(万人)の“平等”ではなく、ある平等な財産階級(例えば年収800万円という「平等」な階級)とかある平等な年齢層(例えば年齢35歳という「平等」な人々)ということである。

 

つまり、後半の「法の外においても・・・・可能とする」とは、財産階級や年齢層等々の相違において、法は人間を差別してよいということであり、「法の前の平等など」あってはならないと言っているのである。ここまで詭弁を弄するヘーゲルとは偉大な哲学者というより、その本質はソクラテスの最も嫌ったソフィストである。ソフィストの詭弁を正し、戒めるのが、哲学者の本質・発祥起源ではなかったか。

 

 自由とは万人に平等に適用される法律以外の法律のすべてを排除する時安定的に存在しうる。この自由の原理をヘーゲルは否定するのである。

 

 さて、ルソーについてだが、ルソーは自由を憎悪し自由を呪い、人間の人格的(道徳的)自由の全面破壊を執念をもって追求した大哲人であり狂人であった。ルソーの天才性は、この人間の人格的(道徳的)自由の全面破壊が平等の神聖視のみで容易に達成できることを発見したことであり、自由と平等の二律背反性に緻密に立脚することで、自由の破壊のための平等の論理をその『社会契約論』において完成させたのである。政治的平等化を目指したフランス革命が「自由を破壊する暴君」と化したが、それは革命前に予見できなかった革命後の偶然的推移ではなく、ルソーの思惑どおり、ルソーの計算どおりの展開であった。一つの政治社会が絶対的な集団目的に向かって走るには、それを達成する手段として全構成員の原子化と平等化とは最も効果的なものとなるが、この原子化も平等化も各人に対する威嚇(テロルなど)による恐怖の強制なしには実現しない。かくして、各人の強制からの自由という真正の自由は、ここには全く生息できない。

 

 自由と平等の乖離は、平等のドグマが民衆の政治参加を制度化するが、この民衆が物質的な平等(端的に言えば、金銭(お金)の平等)には強烈な関心があっても自由にいささかも関心がないことにも起因する。実際に、自由は、多数者たる民衆の日常生活や彼らの欲望や利益(金儲け)には直接的に結び付かないように思える。実際には、自由という盤石な基盤の上に、彼らの欲望や利益が追求できるのであるが、人間が過去の歴史において自由を獲得するのに血の滲むような努力があったことを忘れ去り、自由を当然存在するものと錯覚しているだけなのである。)

 

 「自由の中にあるものは、民主主義的というよりも、むしろ何か貴族主義的なものである。これは(その価値を忘却している)人間の多数者よりも、(その価値を理解できる)少数者にとって、遥かに価値あるものであり、何よりも人格、個別性に与えられている価値である」。このため、多数者たる民衆が主体となる政治では自由が逼塞し、平等が支配する。このため、以上のような理論的のみならず、現実のデモクラシーにおいて、自由は平等に侵害される危険に絶えず晒される。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 ● 「社会的正義」──自由侵害の体制内左翼革命

 

 われわれは、人類の歴史上に平等を宗教的ドグマとする恐怖の政治革命を経験した。1789年のフランス革命1917年のロシア革命であり、いずれもこの平等のドグマと生者のみの天国を「この世」に実現する方法として、私有財産と家族を標的としてその絶滅が図られたのであった。

 

 財産の不平等は人間の能力やその人生の不平等をもたらすもの、家族も同様で親の教養や見識あるいは信条の不平等はその子供の将来やその思考を決定的に不平等にする、という信条に基づいていた。平等のドグマに忠実たらんとすれば、すべての私有財産を廃止しすべての家族を事実上廃止することが完全平等に至る容易な道であることは誰にもわかる。例えば後者(家族の廃止)についてはロシア革命は子供の教育は共産党の専管するものとなり親の関与を一切許さず、ここに家族の精神的絆も伝統も消え、また子供に親の密告を奨励して親子の愛情の繋がりすら切断しようとした。文明の人間が私有財産も家族もない、あのルソーの野獣(野蛮人)と同様になって、各人がバラバラに原子化されてかつ平等になるからである。マルクス/レーニン主義ロシア革命とは、文明の人間社会を野生の動物(野蛮人)並みに改造する運動であるが、これを暴力の恐怖(テロル)で実行したものである。

 

 ロシア革命の原型はフランス革命である。フランス革命における私有財産(大土地)の強制没収と払い下げは、伝統的な家系や門閥潰しのためであったし、教会潰しのためであり、それを核とする地方、地方の伝統的紐帯の切断のためであった。レーニン/スターリン/フルシチョフらのなした教会/貴族・名門/有産階級/地主・自作農潰しは、このフランス革命の行為と全く同じであった。

 

 また、フランス革命が初めて始めた、人間の結婚を野生動物と全く同等にする「両性の合意(契約)」の理論化も、ロシア革命に踏襲された。これらによって家族の紐帯は決定的に弱まるか切断されるから、これに加えて長子相続や限嗣相続を禁止すれば、家族の(祖先から子孫への)連続性も潰れて、いずれ家族は消えてしまう。フランス革命もロシア革命もこれを実行したのである。

 

 ロシア革命やフランス革命は、いずれも人間の社会を整然と幾何学的デザインをした機械に改造することをユートピア(理想郷)の実現であると狂信する宗教であって、そのために人間のすべてがあの羊の群れのごとく、あるいは工場生産でできた規格品のごとくになることを目指したのである。人間に対する平等のドグマとはこれほどのカルト的な狂気からうまれたのである。人間のために正常に思考されたものではない、それが「平等」の起源である。

 

 現代の自由社会にあっても実行されている、相続税による家族財産の平等化や教育の平等化とは、国家の宗教団体化を試みたこのフランス革命というカルト宗教運動のその宗教的ドグマたる平等主義の残滓を、本質的に、継承している。ルソー/ロベスピエールらのつくったカルト宗教の、その平等というドグマが、今日の自由社会において、「社会的正義」「福祉国家」という名において正当化されているのは、何という畸形的な構図であろうか。

 

 例えば、相続税が「社会的正義」の名において正当化される理論は、それは親の財産をそのまま子供が相続することが「社会的不正義」と認識するからであるが、このような認識こそ人間の道徳に悖る。道徳の崩壊を前提としたドグマである。なぜなら、ハイエクの指摘するとおり、親の相続を不正義と断じることは、この子供のなした“個人の行為”ではない。財産を有する親の下に生まれたそのことだけをもって「不正義」とすることであるから、“個人の行為”に関する善悪や正義(正邪)の区別で成立する道徳そのものを否定もしくは無視している。マルクス/エンゲルスの『共産党宣言』を信仰する、その信徒たちの反・道徳イデオロギー闘争と同じ根を共有している。

 

 また、相続税をもって「社会的正義」とか「公正な分配」とすることは、ハイエクが指摘するように、社会(国家)が、ある共通目標に向かって、これを実現する手段として「親の財産を子供が継承することは障害であるので悪(邪、不正義)」と考える全構成員(国民)の総意で成立している、との前提に立っているからである。しかし、無私有財産/無家族の共産社会の建設を目標とする左翼全体主義国家であればこのような「共通目標」の存在とそれに対する全構成員の総意の存在が前提となっているが、自由社会では、このような「共通目標」は一切存在しないし、一切明示もされていない。

 

 目標の不在あるいは目標の不明示においては手段の正当化はありえない。にもかかわらず、このように手段の方だけが正当化されるとすれば、それはこの社会が「国民の総意」で契約的かつ人為的に設立され、かつこの社会が国民にはわからないが絶対的な意志と目標を有していることになる。とすれば、ルソーの言う、「人民が知ることのできない」「人民の一般意志」でもってわれわれの社会(国家)がある目標に進んでいるとの無意識の信仰(狂信)が自由社会をいまだに支配していることになる。今日の自由社会にはヒトラーやスターリンのあの狂気の社会と同一の信仰がまだ広くかつ強力に存在している。

 

 もともと、出生の時点から人間を平等にすることなど万が一にも不可能なことで、空想である。その方法は最小限、レーニン/ヒトラー/スターリン/ポル・ポトらが試行したように、子供を家族からとりあげ国家管理の下で育てるしかないが、それこそ悪魔のような暗黒の社会以外の何物でもない。

 

 さらに、社会は多様な能力と多様な性向の人間が存在するから成立するのであり、家畜のような画一的な成育という「生産」による「人間」とは、“人間”ではないし、またそのような「人間」からなる社会は機能不全となって崩壊するしかない。画一的「人間」だけでこの複雑な人間社会は運営できないのは言うまでもなかろう。また、学校教育では授けることのできない、家族を通じてしかできない知識やノウハウは、家族のないそのような社会ではポッカリと脱落してしまうから、別の機能不全をもたらす。

 

 多様で格差のある能力、多様で格差ある性向などは、家族における両親の資質や努力そしてその資産のみならず、その家族の存在する地理(都市か田舎か、寒冷地か温暖地か、家から見える風景が美しいかそうでないか)など無限の多様性のなかでうまれる。このような外的環境の差だけでなく、知力/体力/忍耐力/努力する意志などの差は先天的なものである。それなのにその平等化を図るとすれば、一定基準以下(以上)を抹殺するしかない。フランス革命のギロチンやソ連の強制収容所は、実際にこの平等化のためのテロリズムであった。

 

 すなわち、これらの多様と格差のすべてを平等化するという不可能なことを道徳に反してまで、また人間性に反してまで追求すれば、自由社会でもその結果生じていくのは家族の弱体化に伴う社会的犯罪の増大と社会を機能させている種々雑多な集団の絆の崩壊であり、法と秩序の限りない崩壊だけである。法と秩序の崩壊は自由の喪失になっていく。仮に強権をもってこの崩壊を阻止するとすればそれは全体主義体制しかなく、この場合はより確実に自由は窒息する。

 

 ハイエクは「社会的正義」について、次のように包括的に糾弾している。「社会的正義」は、魔女や幽霊を信じるのと同じ迷信であると、ハイエクの批判は手厳しい。

 

 ハイエク曰く、

 

 「<社会的正義>の場合に処理しなければならないものは、他の人々を強制する口実となる時には戦わなければならない部類の、擬似宗教的な迷信(=「平等」)である。そして、<社会的正義>への支配的な信念(=「平等」)は、当面、おそらくは自由文明の他のほとんどの価値に対する最大の脅威であろう」

 

簡潔に訳せば、

 

ある特定の個人あるいは階級などの持つ価値A<社会的正義>=「平等という迷信」の名において制裁すれば、当然の結果として、その<社会的正義>による制裁は「平等」に他の人々すべてに波及する。その結果、その自由文明から価値Aは消え去ることになる。だから、迷信である「平等」を根拠とする<社会的正義>は迷信であり、存在してはいけないのである。

 

相続税が「社会的正義」という衣を着て主張され、この主張はルソー/マルクス主義に汚染(洗脳)された擬似知識人からなされているが、一般大衆もそれを支持する。一般大衆の方はこのようなルソー的な宗教的ドグマが背景にあることはいざ知らず、単に自分も財産家の子供として出生したかったという、嫉妬や羨望の感情からの支持であろう。この点について累進課税を例として、竹内靖雄が軽快かつ簡明な解説をしている。

 

竹内靖雄曰く、

 

「結果において万人に差がないようにすべきだという<結果平等主義>は、あきらかに嫉妬の産物である。このような嫉妬の哲学に支持されて、政府が所得の再分配の仕事を大々的にやるべきだというのが福祉国家の理念であり、また、この多数者の嫉妬の力で事を運ぶのが民主主義の政治である。その行き着く先は、論理的には<金持ちと企業から収奪してわれわれ人民に分配せよ>という社会主義になる

 

富の一般的な偏在にしても富の各家族への偏在にしても、それが大規模社会の経済と政治の正常な機能を支えている。すなわち、自由と道徳と法に反してまで平等のドグマの信仰を優先しみずからの社会の経済と政治の機能不全に向かって自己破壊的な暴走、それが「正義」の仮面をつけた“嫉妬の哲学”である。そればかりか、この富の偏在という不平等がほぼすべての人々の所得の向上をなす牽引車となっている重要な真理が忘れられている。一定の時間が経過すると、かつての貧者(もしくはその子孫)が豊かな生活を享受している、そのような“不平等の時間的経過における富の相対的向上性”を総合的に判断しない人間のその日暮らし的感覚が支配的であるのが、今日の自由社会の現実である。

 

 ハイエク曰く、

 

 「今は貧しいものでさえ、自分たちの(過去の祖先と比較して)相対的な物質的幸福を過去の不平等の結果に負っている

と、不平等の本質的なプラス面を力説してやまない。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

(B) 平等と、俗悪化する社会、腐敗する政治

 

平等化は、政治社会を低劣にして俗悪化させる。

 

 民族の中の極少数の人間しか持ちあわせない高貴さとか真・善・美の分別能力とその責任意識とかが、これらに何ら関心すらもない、またこれらの美徳と無縁な多数によって、徹底的に排除されるからである。政治の平等化、それは制度的にはデモクラシーというものであり民衆が政治の主体となるのだが、民衆にとって高貴さとか名誉とかあるいは責任とかの美徳は猫に小判のごときものであって、このためデモクラシーは必然的に高貴さも名誉も責任も不在となる。また、民衆は真実や美に追求とか善悪の峻別とかに何ら関心はないから、デモクラシーの政治社会では真・善・美もまた消えていく。バークの次の指摘は表現において過激だが、やはり本質をうがっており正しい。これ以上の真理はない。

 

 バーク曰く、

 

 「完全な民主政治(=デモクラシー)とはこの世における破廉恥の極みに他ならない

 

 そればかりか、デモクラシーとは、一人一票などのその投票制度で明らかのごとく、構成する国民を算数的な単位として処理する制度である。どのような生き方をしているか、どれほどの政治的見識があるか、名誉や責任の意識はあるか、高貴な精神の有無、・・・・など各国民一人一人の“質”については一切無視する制度である。端的に言えば、政治社会から“質”を除去して“量”的に処理する制度である。“質”が問われることのない政治社会は質的低下をきたすこと以外にはありえず、かくしてデモクラシーの政治は日々より低級なレベルへと下降する(質的低下する)制度である。そしてそれは、このデモクラシー国の人間もまた低級化が進むことでもある。また、デモクラシーの「世論」はこのより低級なレベルの「多数者」を預言者として信仰するものだから、この低級化を加速させるばかりで万が一にもこの低級化に歯止めがかかることはない。

 

 ベルジャーエフ曰く、

 

 「人間の歴史をすべて均等化する民主主義時代は、生命の質的、価値内容の低下であり、人間のタイプの低下である。民主主義は高級の人間のタイプの養成に関心がないため、より善き人を創造する力をもたない」

 

 とりわけ、デモクラシーは「平等な教育」と「門地(家柄・家格)による不平等の完全撤廃」を伴うから、(大学などの)高等教育界や(新聞・テレビ)のジャーナリズム界に「大衆」そのものの擬似知識人を大量に輩出させることとなり、これによってデモクラシー国の国民全体の精神を野卑の方向に大幅に低下させる教育と煽動がさらに行われるので、俗悪化はますますひどくなる。「大衆」感覚しか持ち合わせぬこれらの擬似知識層は、「大衆」の精神を高めず逆に卑しくさもしい欲望のみを刺激し、煽動する。これらの擬似知識層こそ政治に理想を求めるなどというあたかも向上の道を説くかの演技(スタイル)をしつつ、心底ではみずから個人の利己一点張りで貪欲な野心や権力欲望だけしかなく、政治の品格をより下降せしめる。また、彼らには公共心は欠如して存在しておらず、現に彼らの「主張」は、国民全体の公共心によってしか正しく機能できない政治を、必ず腐敗に導く働きしかしていない。

 

 人間がそれぞれの才能や努力そして幸運に従って、内面の精神的なものであれ外面の物質的なものであれ、質的により高級な水準に向かって向上しようとすることは、才能/努力/幸運は各人に不平等であるが故に必然的な不平等を進めるから、平等主義はまた、人間のこのような質的向上を決して認めないし断じて許さない。よって、平等主義の支配する社会では質的向上が完全に窒息させられて、質的な向上や精神的な向上には一切関心のない、そのような努力をしない大多数の民衆の、その低級/低俗/低劣なレベルにおける平等化が達成されることになる。

 

 かつて1970年代、日教組に巣くうマルクス教の教師による通知表の「オール3」の成績評価運動は、努力する生徒や才能ある生徒の努力(自由)に対する否定であるし下降への誘導そのものであったように、平等主義という狂信とは低級化の信仰であることを端的に示すものであった。

 

 さて、この大多数の民衆というものは、不平等な社会であればこの質的・精神的に向上する一部の「貴族」的少数を仰ぎ見て模倣し同様な向上への努力をなすが故に低級/低俗/低劣なそのレベルが徐々に改善されて向上する慣性力が生じうるのだが、しかし、完全平等な社会においては、この向上の慣性力すらもない。下降のみしかない。

 

 裏返して言えば、“開かれた不平等”の制度が、社会の高貴さを保ち、かつ真・善・美を活き活きと生命あるものとする脊椎でありうる。例えば、公共的なものへの自己犠牲の精神は、そのような少数(エリート)の精神がそれを有さない多数に仰がれて“差別”され称賛される、上下的な関係がその性向をもつ社会的基盤が存在して初めて生命をうる。政治的地位の“開かれた不平等”が、富の不平等が市場経済下の個人の所得を向上せしめていくのと同じく、時間と世代の経過の過程の中で社会を構成するすべての各人を人格的に道徳の正しき意味において向上せしめる働きをなしていくのである。政治的地位の“開かれた不平等”と政治の品格とは不可分かつ比例的な関係にある。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 ● 平等の腐敗力

 

平等こそが、自由な政治社会にとって(じわじわと体を蝕む癌のごとくに)危険な脅威である。

 

近代デモクラシーとは平等化の政治であり、民衆の平等への渇望を卑しい欲望とせずに「人間の権利」として是認する政治であるから、本質的に反道徳性を黙認する政治である。

 

平等のこの腐敗の原理を、豊かな視野から体系的に警告した先駆者の一人は、トックヴィルであろうが、人間が(少数者を除き)「平等に対しては、熱烈な、飽くことなき、永久的な、うちやぶることのできない情熱をもっている」ことが、デモクラシーが平等主義に立脚する故のその害毒をいつまでも弱めることなく自己破壊的に自らの社会に対する腐蝕を続けるのである。

 

各人の精神が高貴な徳と道義に輝くような社会と、平等主義の社会とは決して両立しない。なぜなら、平等主義の社会とは、各人が人格的に向上しようとする努力を是とせず逆に、自分より優れたものあるいは恵まれたものにたいする、羨望/憎悪/嫉妬あるいは復讐という、反道徳的な下劣な感情あるいは野獣的な感情が平等でないことに向けられたということで正当化して是とするものであるから、各人の精神を汚濁し汚毒していく。平等主義の社会では「人々は相互のために貢献することはまれである」ので人間的な友情や人情の結合の感情そのものが欠けることになり、不義理・不人情・忘恩の社会となるからである。また、「完全な平等は無責任の普遍化」と述べるTS・エリオットの名言を待つまでもなく、平等社会では責任〈義務〉が美徳となりえず無責任が決定的に横行する。

 

とりわけ、平等は人々をして目前の享楽の追求に耽溺させるから、それはその精神の腐敗堕落を不可逆の過程に引きずり込む。享楽への耽溺は人格的向上の努力や精神的な苦悩の道を選択することから、人間を遠ざける。平等社会の各人は、安易に享楽を得ようと算段するから、精神における努力とか刻苦勉励とかの道徳を無視し排除する。

 

平等主義の背景にあるのは、人間そのものに対する一種の宗教崇拝であり、人間を絶対視する宗教である。いかなる宗教も、生きている人間に対して人間以上の何物かを(それが神であれ仏であれ祖先であれ死後についての教理であれ)畏怖させて人間のあるがままの欲望に対して制限を課す。しかし、神は死んだ(ニーチェ)」としてあるがままの人間に「主権」を附与して「人間が神だ」とすれば、人間の欲望は(他のいかなる生物の欲望が有限であるのとは全く異なって)無限であるから、その堕落・腐敗も無限となる。十八世紀から二十世紀にかけて、平等主義の蔓延と宗教離れとが同時に生じて、現実に、人間の堕落・腐敗も無限に進んできたし、今も進んでいる。

 

また、人間崇拝的な狂信なくして、平等主義という狂信もうまれるはずはなく、平等主義と人間崇拝教は、コインの裏表である。なぜなら、現実の社会における人間は卑にしてさもしい下層民や狂人やならず者・犯罪者に満ちている。それに無気力(怠惰)、無責任、無道徳に分類される者を加えれば、人間の過半は眼も覆いたくなるほどであるのが現実である。また、善意の人間ですら浅慮で浪費癖があり無能力である場合も多い。それなのに、このような現実の人間社会を「完全な人間」「理想的な人間」からなるという仮構においてこれらすべての人間を等しく扱うというのが、平等主義のドグマである。現実を一切無視するこのようなドグマは、迷信というよりカルト教の狂信であり狂気である。すべての人間に「完全性」が平等に附与されているはずと考えるデカルト/ルソーの狂信の系譜にあるドグマである。

 

これらの狂人/ならず者/犯罪者以外の)人間の多くすら、水準的には劣悪であり欠陥だらけなのだが、平等のドグマは、この現実に各人が自省をするように促すこともしない。逆に各人の浅薄にして低級な自己に対する過信や傲慢を正当化してあげる。だから平等のドグマの支配する社会では、例えば『論語』の「三省の教え」などが入り込めないのはむろんのこと、謙虚さという最小限の道徳ですら放擲される。

*(論語 学而第一 四):三省(三は多数のことを意味する)の教え 

 

 「曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と」

(現代語訳) 

 

曾先生の教え。私は毎日(主題を変えては)いろいろと反省する。(たとえば誠意の問題についてのときは、)他者のために相談にのりながら、いい加減にして置くようなことはなかったかどうか、友人とのつきあいで、ことばと行いとが違っていなかったかどうかとか、(学習内容で譬えるならば、薬の調合で)まだ十分に身についていないのに(調合して)他者に与えてしまったかどうかとか、というふうにである。

 

自己に対する過信や傲慢とは、自分だけの考えや自分の知見で充分に足りうるものと考えることだから、みずからが、「非常に無知であり、非常に偏狭である」ことの自覚(ソクラテスの「無知の知」)すら決してしないそれは、みずからの判断力の知的向上への機会も意欲も、みずから拒絶することである。傲慢とは、怠慢の裏側である。

 

平等主義による「大衆」各個人の自己過信と傲慢の正当化は、自分の低い知力で理解できないものは何でも否定して信じないし、そればかりかその反動として「大衆」相互の(賢明とも程遠く明らかに愚劣と思われる)多数者の意見を盲信する。なぜなら、「すべての人々は同じような知識経験を持っているので、真理が最大多数の人々の側にあるように思われているからである」。すなわち、平等社会は、(ビートたけしのバカバカしい名言)「赤信号、皆で渡れば怖くない」と同じ状態となって、いわば思考停止状態となってほぼ全員が一緒に低級に向かって下降する。それ以外の方向への動きは発生しえない。平等社会では、腐敗と低級化が永遠に進展する。

 

 このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

● 不平等と高貴な社会

 

近代以前の封建体制の政治社会における、名誉/栄光/誠実とか寛容/献身などの美徳(道徳)の発達と成熟は、それが評価される社会であったからである。このような美しい道徳が成熟していくには、社会構造としていくつかの特性が前提となる。

 

イ)          まず、人間関係が流動的でなく紐帯が存在していて一定以上固定されていること。これなしには、この道徳に生きたその人格、その人生について、家族/職場の同僚/地域社会において数はともあれ必ず語り継がれる、そのことが不可能となる。

 

ロ)          次に、これらの道徳のそのものが主として上下的な人間関係において息づくように、人間関係の結合が水平的であるより垂直的である社会構造の特性が存在しなければならない。

 

封建体制の政治はこの二つの特性をもつが故に、社会に上記の徳目が十全に内蔵されていた。例えば、日本の江戸幕府を例とすれば、主君や藩のための自己犠牲(献身)は武士の規範であり、あるいは切腹の儀式そのほかに示されているように名誉はことのほか最重視されてきた。名誉を考えた行動をなしてそれに反することを「末代までの恥」という言葉であらわすように人格上の名誉は後代に語り継がれたのである。英国などのヨーロッパの貴族社会における騎士道も同様であって、(個々のそれらの日常生活における腐敗的なものはむろん数多く散見されるがそれらをはるかに凌いで)ノーブレスオブリージュnoblesse oblige=高貴なる者の義務:ヨーロッパ社会で貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方。皮肉にもフランス語である。)に代表されるように、政治社会の高貴性を先導しその維持をなしてきた。

 

しかし、平等社会では各人は相互に孤独的であり独立的であるため(原子化・単一化しているため)、固定的な人間の紐帯は希薄化し、あげくに消滅する。そればかりか、個人個人の利益追求が最大化される社会(「個人主義」の社会)であるから、未来に物質的幸福のみが求められ過去は忘却されていくから、過去が後代に語り継がれることは万が一にもない。かくして、名誉も献身も無価値的となり無意味となる。過去が大切にされない、そのような社会において高貴さは呼吸を続けることができず、かくして死滅する。

 

なお、この近代の「個人主義」についてトックヴィル曰く、

 

「個人主義は、初めに公徳の源泉だけを枯らす。けれどもしまいには、個人主義は他のすべてのもの(道徳)を攻撃し、破壊し、そして最後に(すべての美徳の芽を枯らす)利己主義のうちに飲み込まれる」

 

と、平等社会の「個人主義」が道徳に対して破壊的効果をもつことをしてきしている。

 

トックヴィル(あるいはバーク)の用いるこの「個人主義」は、概念的に、社会の個人個人をバラバラに原子化・単一化することを意味するもの(=個人原子化主義)であって、一般的に日本で使用されている“個人主義”(=その人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに、個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度)とも異なる。トックヴィルやバークは、全体主義の土壌になる「個人(原子化)主義」を徹底的に排撃するのであって、ヒュームなどの反全体主義の真の“個人主義”(=個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場)のことではない。ハイエクは、トックヴィル/バークが徹底的に批判してやまない「個人主義」のことを“偽りの個人主義”と名付けている。

 

高貴性とは名誉を価値とする気高さに輝くものとすれば、「名誉をつくっているものは、人々の非類似と不平等である」から、平等で相互に似通ったものからなる平等社会では名誉は放逐されて、高貴性の輝きも消えるしかない。不平等は、法/自由/道徳の源泉であり、真/善/美の母体である。

 

政治社会は、エドマンド・バークの指摘するように、“世襲(相続)の原理”で機能するときのみ、名誉/尊厳/献身などのすべての徳目がこの社会に輝くことができる。バークは次のように述べている。

 

バーク曰く、

 

「賤しからざる家系という観念は、・・・・生まれながらの尊厳という慣習化した意識を吹き込みます。この意識が、どのようなものであれ地位を最初に獲得した人々にほとんど不可避的につきまとってその品格を汚してしまう、あの成り上がり者的尊大さを抑制してくれるのです。こうした方法で、我々の自由は一種高貴な自由となります。・・・・それには系図がありそれを証拠立てる父祖もあります。紋章もあります」

 

要約すれば、

 

“世襲(相続)の原理”による高貴な家系に生まれた子孫は、その家系に伝統として慣習化した高貴(美徳)の意識を必然的に受け継ぐ。それに対し、成金のように賤しい家系から富裕層の地位にのし上がった人間は高貴さというものがなく、必ず尊大で傲慢的となる。すなわち、世襲貴族の高貴(美徳)が成金の尊大・傲慢を抑制し、社会の自由は高貴な自由となるのである。

 

“世襲(相続)の原理”が高貴な社会の成立のための絶対条件だとすれば、世襲(相続)否定に立脚する平等社会はやはり高貴さが一掃され野卑で俗悪な社会にしかならないということである。

 

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

 ● 享楽の平等、苦難の自由

 

 「政治的自由は、若干の市民たちに、高貴な喜びを時々与える。平等は、日々に大量の小快楽を供給する

 

 自由と平等の差異をこれほどうまく表現しえたのは、トックヴィルならではのことであろう。自由というものは「若干の市民」という一部のエリート(貴族的精神の持主)にしか理解されないものであり、平等というものは大衆を含むつまり「各人」というすべての人々に理解され追求されるものである。平等は(所得の平等化などが絶対視されるように)物質的幸福と絶えずリンクしているが、自由はこのような幸福とは決して直結しない。

 

 自由は放縦のことではない。「自由はタダ」でもない。自由は、平和の維持に似て、恒久に努力し続けていく汗の成果であり苦悩の精華である。要するに、自由の道とは、重荷を背負った苦難の道である。

 

 ドストエフスキーはその晩年の作「大審問官」(『カラマーゾフ兄弟』第二部第五篇第五章、1879年)において、大審問官がキリストを非難する形をとりつつ、自由とは「偉大で強力な意志を持った」ごく少数の人間には価値だが「浜の真砂のごとく無数の人間」つまり大多数の人間にとって「重荷」であると論じつつ、自由が幸福とか快楽とは次元を異にして高位のものであることを力説するが、自由とはまさしくそのような本質のものである。

 

 ドストエフスキー曰く、

 

 「(大多数の)人間にとって安らぎが、いや時には死すらも、善悪の認識における自由な選択よりも、はるかに高価である」

 

 「・・・・(人間の)自由を増やしてやり、その(=自由の)苦しみによって人間の精神王国に重荷を背負わせてしまった」

 高貴さの源泉である自由の精神は、トックヴィルやドストエフスキー、そしてベルジャーエフの指摘のとおりで、「自由の道はつらい苦悩に満ちた、悲劇の道である。この道は英雄的な精神を要求する」。そうであるとすれば、この大多数の人間が平等のドグマにおいて政治的主体となるデモクラシーにおいて、自由は敬遠され逼塞するしかない。善悪の区別という“自由の中の自由”は、幸福とは無縁である。一方、幸福は地上の天国たる「パンとサーカス」の物質的従属と享楽で充分に可能である。

 

 ベルジャーエフ曰く、

 

 「自由の中にあるものは、民主主義というよりも、むしろ何か貴族主義的なものである。これは人間の多数者よりも、少数者にとって、遥かに価値あるものであり、何よりも人格(=道徳)、個別性(=各個人の道徳性)に与えられる価値である

 

 「人間精神の自由は、人間の幸福と一致しがたい。自由は貴族的である。それは少数の選ばれた者たちにのみ存在する」

 

 アクトン卿はその1878年の論文の中でフランス革命を自由にとってかくも災害たらしめた最も深い原因は、その平等論であった」と、“デモクラシー的な平等”が“貴族的な自由”を喰い殺してしまったフランス革命の歴史的体験を鋭利に強調している。フランス革命の「自由、平等、博愛」のスローガンは建前のみであって欺瞞的であった。「自由」はまったくの空虚であり、「(貧困の)平等」だけしか実がなかった。この事実に真摯になれば、“貴族主義的な自由”が“デモクラシー的な平等”と根源において両立しないのは経験済みのことである。

 

 自由は、自らの精神の質的向上を目指す真正の「貴族(エリート)的な精神」において体現されるものであって、それは精神の高貴性を価値とする倫理でもある。“良心の自由”というのはその俗的な表現の一つである。だから、真正の自由あるいは徳の自由、“開かれた不平等”の封建体制もしくはその遺制が育まれているところのみに安定的に存在できる。

 

 しかし、平等社会とは一部の人間の「貴族的な精神」そのものすら攻撃的に否定してこれを決して認めようとしない。それに、完全平等社会の追求とは、自由ゼロの暗黒の全体主義体制にならざるを得ない危険が生じるはかりか、「貴族的な精神」を完全に破壊していくものである。平等主義は、高貴な美徳ある自由にとって、最大の敵である。TS・エリオットはこのことを「あらゆる人間があらゆる事柄に平等の責任を持つごときデモクラシーの社会は良心あるもの(=自由を貴ぶエリート)には圧制(=自由の剥奪)となり、その他のものを放縦に委ねる」と指摘する。

 

 人間の精神の高貴さや人格の気高さは、平等からうまれない。自由からうまれる。自由の価値の根本はここにあり、平等の本質的有害性もここにある。

 

 封建体制が崩壊した以上、貴族(公家)階級や武士階級を復活することは不可能である。しかし、「貴族(武士)的な精神」を有する真正のエリート階級を再建することは必ずしも不可能ではない。自由社会は高貴な政治社会の創造的再生を目指しての教育制度の抜本的転換をする必要がある。公共心に満ちる自己犠牲の「貴族的な精神」のエリート養成教育に教育の重点をシフトさせることである。

 

このページのTopに戻る

 

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

以下に中川八洋筑波大学名誉教授の著書の他、真正自由主義バーク(=真正保守主義哲学)を学ぶための著書の一部を以下に紹介しておく。

 

〔=ホームページ作成者〕としては、バーク保守主義(=真正自由主義真正保守主義)とはどのようなイデオロギーか?全体主義社会主義共産主義)とはどのようなイデオロギーか?をまず知ること理解すること必要であると考える。

 

そのためには、2→12→4の順に読み進めて行き、あらゆるイデオロギー及び哲学基礎概念理解した上で、他の図書を読んでいくのが良いであろう。

 

とくに、〔=ホームページ作成者〕は、1 中川 八洋正統の哲学 異端の思想「人権」「平等」「民主」の禍毒 』については一冊まるごと暗誦するほどに読む価値があると考える。

 

なぜなら、日本国民は、日本国の文部科学省による義務教育及び高校大学教育において、「人間の権利(=人権)」・「人民(国民)主権」→「フランス革命の真実」→「民主主義デモクラシー)」→「全体主義社会主義共産主義)」などの概念の真の意味とそれらが目指す真の目的とその実践の結果である歴史事実について全く教育されないからである。

 

反国家つまり反日日本人が多く誕生するのは、このような、戦後の文部科学省文部省)の意図的な「左翼哲学一辺倒の教育」の成果であると言って過言ではない。

 

欧米自由主義国家において、哲学政治哲学を学ぶ者が「保守主義の父エドマンドバークや「米国保守主義の父」とも言えるアレクサンダーハミルトン名前その思想全く知らない、あるいは法学憲法学)を学ぶ者がエドワードコークウィリアムブラックストーン名前その著作全く知らない、さらに、自由主義経済学を学ぶ者が、F・A・ハイエク経済学経済思想自由主義哲学全く知らない、などということは、あり得ないことである

 

が、日本国の教育世界の常識を全く転倒していて日本国民はその名前も著作名も全く聞いたことがない教育されたことがない

 

逆に、日本国民知っている聞いたことのある哲学者名前著作名とは、デカルトルソーホッブスJ・ロックヘーゲルベンサムJ・s・ミルコントスペンサーマルクス/(エンゲルス)、フロイトサルトルハイデカーフーコーレーニンスターリンなど、左翼極左全体主義哲学オールスターズであろう。

 

文部科学省義務教育及び日本の大学教育の方針は異常であり、「思想的に偏向しすぎ」である。

 

言い換えれば、これらの偏向教育の在り方こそが、日本国民に対する真の思想の自由の侵害(=〈教育しない知らさない〉という思想の検閲)」あるいは「知る権利の侵害」であり、明白な憲法違反ではないのか。そこには、恣意的日本国日本社会)と日本国民特定の目的社会へ導かんとする強固な意図が感じられる。

 

この文部科学省文部省)及び日本の大学教育による戦後教育による偏向的思想呪縛洗脳)から覚醒するためには、中川 八洋正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒 』の完全理解必要であろう。

 

また、解かれた呪縛穴埋めをするためには、真正の保守主義哲学)・自由主義哲学)の著作であるE・バーク著作その解説書に加え、14 A・ハミルトンら『ザ・フェデラリスト』及び15 W・バジョット英国憲政論』、16 F・A・ハイエクハイエク全集T〜[』なども必読であろう。

 

1 中川 八洋正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒

 中川 八洋正統の憲法 バークの哲学 (中公叢書)』 

 中川 八洋福田和也と“魔の思想”―日本呪詛(ポスト...

 中川 八洋保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか

 中川 八洋女性天皇は皇室廃絶―男系男子天皇を、奉戴せよ

 中川 八洋国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂

 中川 八洋連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋...

 中川 八洋 渡部 昇一 共著教育を救う保守の哲学―教育思想(イデオロ...

 中川 八洋歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本

10 中川 八洋国が亡びる―教育・家族・国家の自壊

11 中川 八洋中国の核戦争計画―ミサイル防御(TMD)...

12 エドマンド バークフランス革命の省察(半沢 孝麿 訳)

13 中川 八洋亡国の「東アジア共同体」―中国のアジア覇...

14 A・ ハミルトン/J・マディソン/J・ジェイザ・フェデラリスト

15 『世界の名著 (72)バジョット・ラスキ・マッキーヴァー』(英国憲政論)

16 F・A・ハイエクハイエク全集 1-8 新版Friedrich August von Hayek

17 『皇統断絶――女性天皇は、皇室の終焉』 中川 八洋

18 中川 八洋地政学の論理――拡大するハートランドと日本の戦略

19 中川 八洋近衛文麿の戦争責任――大東亜戦争のたった一つの真実

20 中川 八洋民主党 大不況(カタストロフィ)

21 A・トクヴィル『アメリカの民主政治(上)(中)(下)

22 オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆

23 ヤーコプ・ブルクハルト『世界史的考察

24 ギュスターヴ・ル・ボンバーク『群集心理

25 エドマンド・バーク(中野好之 編訳)『バーク政治経済論集

26 中川八洋『與謝野晶子に学ぶ――幸福になる女性とジェンダーの拒絶

27 中川八洋『悠仁天皇と皇室典範

・・・等々

このページのTopに戻る

エドマンド・バーク保守主義Top Page戻る