EDMUND BURKE(エドマンド・バーク)の系譜 真正自由主義(伝統主義、真正保守主義) |
● 保守主義とは、高貴な自由と美しき倫理の満ちる社会(国家)を目的として自国の歴史・伝統・慣習を保守する精神である。
● 保守主義は、自由と道徳を圧搾し尽くす、全体主義(社会主義・共産主義)イデオロギーを排撃し殲滅せんとする、戦闘的なイデオロギーである。いざ戦時とならば、「剣を抜く哲学」である。
中川八洋『保守主義の哲学』、
第三章「保守主義の父」バーク 第二節「世襲(相続)」の哲学――未来主義と進歩主義からの脱却からの抜粋
英国憲法の基本原理の筆頭は何と言っても、英語でinheritanceとかdescentという、「世襲の原理」あるいは「相続の原理」であろう。
「世襲の原理」がもしなかったならば、中世の王制や貴族制の封建遺制が、多少の綻びが見えるものの、今日の英国に確として保守されているはずはない。
英国憲法における、この「世襲の原理」について明快に理論化したのはバークが初めてであろう。
中年の頃になった作品「国王への演説」〔1777年1月〕で「革命はこの君主制の相続(descent)という古くからのコースからの逸脱であった」〔注1〕などと言及しているが、バークの「相続〔世襲〕の哲学」は、1790年の『フランス革命の省察』において本格的に論究されるようになった。
「われわれは相続の国王inheritable crownをいただき、相続の貴族をもち、また永く昔にさかのぼる祖先から特権と参政権と自由とを相続した下院と民衆をもっている」〔注2、アンダーライン:中川〕。
このように基本的な政治制度を含む国体の堅持と保守について、バークの「相続の哲学」ほど説得的なものはない。
翌1791年の作『旧ウィッグは新ウィッグを裁く』にも、王制を念頭においての英国憲法の保守につき、明証的に理解できぬときは崇敬せよと「偏見(=古きものへの尊敬、祖先の叡智への崇敬)の哲学」で論じつつ、同時にそれは「相続の原理」において、革新してはならない、仮に改良するにしても法と慣習の枠内に限られると説くのである
「もし自国の国体(憲法)を理解できない場合にはまずもってそれを崇敬・賛美すべきである。このすばらしき国体という相続財産を遺してくれたわれわれの祖先は、このような国体の崇敬者であった。
・・・しかし決して、基本原理から逸脱することはなかった。
王国の法と憲法と慣習に深く根を下ろさぬ国体の修正は決してしなかった。
このような祖先にわれらは見習い従っていこうではないか。
・・・〔この国体に対して〕革新という絶望的な企てがなされないよう、いつも監視をつづけようではないか」〔注3、アンダーライン:中川〕。
英国では中世より、英国民の権利および英国民の自由についても、相続による財産、すなわち「世襲」による一種の家産と見なされてきた。
このために、尊敬される権利・自由となりえたのである。
バークはこの伝統的な「自由と世襲」の憲法原理の再生者であった。
英国憲法の基本原理である、この「世襲の原理」は、次に述べるように、マグナ・カルタから権利章典に至る約450年の歳月のあいだ、不変であった。
「われわれの自由を主張し要求するに当たって、それを祖先から発してわれわれに至り、更には子孫にまで伝えられるべき限嗣相続財産entailed inheritanceとすること、また、この王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、何にせよそれ以外のより一般的権利〔=人間の権利〕や先行の権利〔=自然権〕などとは決して結びつけないこと、これこそ〔=1215年の〕マグナ・カルタに始まって、〔1689年の〕権利章典に至る我が憲法〔国体〕の不易の方針であった」〔注4、アンダーライン:バーク、カッコ内:中川〕。
たしかに、権利の章典の第六条と第一条〔備考〕において、「英国臣民の権利/自由」は「古来より相続してきた」が故に、国王陛下に尊重していただきたいと奏上する形をとっている〔注5〕。
どこにも人間として生まれたが故に与えられる権利」という意味の「人権」でもって、この権利/自由の擁護を国王に迫ってはいない。
あくまでも「祖先からの相続」という法理において権利/自由を要求している。
しかも、要求の根拠は「人間であるが故に」ではない。
「英国国王陛下の臣民であるが故に」である。
「人権」思想は、この権利章典にはまったく無縁である。
〔備考〕権利章典にはこのような条項はない。岩波文庫版が読みやすくするためにつけた“整理番号”であるが、便利であるのでそれを活用して仮にそう呼ぶことにした。権利請願も同様である。
もっとはっきりいえば、権利章典は、「英国国王陛下の臣民」に限って与えられる権利/自由を定めたのであり、普遍的な人間であるが故の権利という「人権」の思想を、完全に排除している。
国王陛下の「臣民の権利」は自由を含めて財産や名誉その他の複合したものであるから文明社会のもたらす高給な権利である。
一方、「人間の権利」は非文明的な未開・野蛮社会での単なる生存という原初的な低級な権利のことである。
これらの本質からしても、「国民〔臣民〕の権利」と「人間の権利」は水と油のごとく相容れない。
しかし、日本の学界では、マグナ・カルタにしろ権利章典にしろ、これを正しく読むことなく、むしろ著しく歪曲して、英国の憲法思想を根底から枉げる。
たとえば、岩波文庫版『人権宣言集』で、「マグナ・カルタは・・・アメリカにおいても、基本的人権の守護として尊ばれている」〔36頁〕とか、「権利章典の重要性は、・・・そこに列挙された人権の保障は、基本的人権の歴史の上で大きな役割を演ずる」〔79頁〕とか、「基本的人権」などという英国や米国にとって奇怪きわまる五文字や、妄語にすぎない「人権」という二文字を作為して、荒唐無稽な解説がなされている。
「人権」は1789年にフランス〔パリ〕(フランス革命1789年8月26日「人権宣言」)で初めて発明された概念であり、それ以前の1215年(マグナ・カルタ)や1689年(権利章典)の英国あるいは1787年の米国(米国憲法)にそもそも存在しているはずはなかろう。
この『人権宣言集』の編集責任者は宮沢俊義であるが、宮沢とは学者として一片の良心もなく、ただの共産革命の煽動のために嘘と詭弁を「学説」とすることに専念した人物であった。
権利章典〔Bill of Rights〕の正式名称が「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」であるように、それは英国の国王の存在を絶対条件として、国王に忠誠を誓う「英国国王の臣民」のみが享受できる権利と自由を定めた法律である。
王制の廃止を前提とし、「フランス国王の臣民」であることを拒否し、動物並みの「ただの人間」に堕落・退化することを志向する教理に基づくフランス人権宣言〔人および市民の権利宣言〕とは、まったく対極的である。
だから、権利章典は、
「両陛下の玉体が、・・・祖宗の玉座よりいと幸せに私達に君臨し給うのを維持することこそ、玄妙なる神の摂理、この国に対する神の慈悲深き御心・・・。
この神の御心に対して恭謙な感謝と賛美を捧げまつる」〔第7条、85〜86頁〕
という、敬虔な祈りをもって英国臣民が宣言する形をとったのである。
その第3条では、臣民の義務としての両陛下への忠誠の宣誓文まで明記している。
「私、何某は、ウィリアム国王陛下およびメアリ女王陛下に、忠実であり、真実なる忠誠をつくすことを、誠意をもって約束し、宣誓します。神にかけて」〔84頁〕。
「世襲の原理」を貫く権利章典の智恵とは、「国民の権利/自由」は「世襲〔相続〕」の権利/自由であるが故に、つまり祖先から相続したが故に、現在の権力者によるいかなる侵害をも違法と定める論理である。
この「世襲の原理」は、権利章典より60年前の権利請願(1628年)においても同じであった。
そこでも「自由を相続した」と明記されている。
「国王陛下の臣民は、国会の一般的承諾にもとづいて定められていない限り税金、賦課金、援助金、その他同種の負担の支払いを強制されない自由を相続したyour subjects have inherited this freedom」〔57頁〕。
ジェームス一世の王孫であるソフィア女公〔ハノーファー選挙侯の未亡人〕への王位継承を定める1701年の王位継承法も、その正式名称が「王位をさらに限定し、臣民の権利と自由をよりよく保障するための法律」であるように、王位をジェームス一世に発するプロテスタントの家系“世襲”によって継承させることを定めたものである。
日本国憲法の「国民の総意」などというジョン・ロック流の「契約」思想とはまったく無縁である。
むしろ逆に国民の意志が王位継承に僅かでも反映することがないようにしたのである。
それによって、国民の自由も、王位の継承と一体となった「継承」である、との原理を定めたのである。
なお、この法律は、単なる「国民」でなく、あくまでも「陛下の臣民」が国会の権威において、国王にその裁可を「恭順して懇請する〔humbly pray〕という形式をとって、国会がその権能において制定したのではない、と王に対する国会の優位を自ら否定している。
末尾の第4条は、次のように定めている。
「前記の聖俗の貴族ならびに庶民は、確立された宗教と国民の権利と自由の保障のために、この王国のすべての法〔コモン・ロー〕と制定法が、・・・陛下によって追認〔ratify〕され、確認されるよう、かさねて恭順して懇請し奉る」〔注6、訳:中川〕
このように、王位継承法は、信仰と自由と法を、「世襲の原理」で永遠に確保することにしたのである。
しかも、「権利章典」と「王位継承法」によれば、国民が国王を選択することは永遠に禁止されることになる。
なぜなら、前者ではメアリ女王の直系卑属の相続人、次にアン女公の直系卑属の相続人、さらにウィリアム三世の直系卑属の相続人、後者ではソフィア王女の直系卑属の新教徒の相続人、に王位継承の順位を定めたからである。
国民〔ひと〕が国王を選ぶことはできない。
あくまでも王位継承の“法”が国王を選ぶ。
また、両法律とも国民の義務として、次の規定を設けている。
つまり、国王の王位継承にあたって、国民には権利はないが、義務のみを負う。
「前記の聖俗の貴族ならびに庶民は、王国のすべての国民の名において、最高の恭順と最高の忠誠をもって、自らもその相続人もその子孫も、・・・ソフィア女公殿下とその血縁の相続人を・・・生命を棄てても財産を投げうっても全力をあげて、維持しお護り奉ることを御誓いします」〔第一条の末尾、訳:中川〕
国王の正統なる継承に対して、英国の国民に、それを選択する権利などはないが、子々孫々に至るまで未来永劫にわたってこの永遠の王位継承に生命を投げすてる「世襲の義務」を負うと定めたのが権利章典と王位継承法である。
権利章典の解釈で、ジョン・ロックが述べている、「国王の地位は国民の信託と同意に基づく」は、まったくの嘘偽りである。
ヒュームが指摘するように、つくり話である。
ホッブスの系譜にある「隠れ革命理論屋」ジョン・ロックは、名誉革命とその憲法思想を根本から歪曲しようとしたのである。
・・・要は、英国における「国民の自由の権利」は、血統と世襲とに基づく王位継承の“法”と、法律に基づく王制の維持に対する「国民〔臣民〕の義務」とを不可分の関係とすることで、憲法上の権利としたのである。
英国憲法が定める、「高貴な自由」の原理は、「世襲の原理」と一体である。
別の表現をすれば、自由という国民の「世襲の権利」の享受は、王位継承の(護持/保守の)ために生命を捧げる臣民としての「世襲の義務」と不可分だということである。
「世襲の自由の権利」は、「世襲の忠誠への義務」に比例して享受できる、というのである。
日本にたとえるならば、“世襲”の皇統の悠久を定める皇室典範に基づく天皇の未来への万世一系(の男系男子皇統)を護る日本国民の子々孫々にわたる「“世襲”の義務」において、日本国民の「自由の権利」は「“世襲”の権利」として附与されているということになる。
つまり、日本国民の「自由の原理」とは、(男系男子)天皇の万世への継承と自由が一体となった「世襲の原理」を母胎として発展したものであり、神武天皇から今上陛下〔125代〕に至る我が国の(男系男子)皇統譜はわが国の皇統譜は、わが国民の“自由の系譜”となるのである。
イギリスの“世襲”の王位継承とイギリス国民の自由とが不可分の関係にあることについて、バークの言説の一部をあげると次のとおりである。
「〔王位をウィリアム三世とメアリ両陛下に定めた名誉革命は〕われわれの古来からのancient議論の余地なき法と自由に対する唯一の保証である、古来からの英国の国体〔=王制〕を維持するためでした」〔注8、アンダーライン:バーク〕。
「〔英国民の〕自由を、世襲の権利として規則正しく永続させ、また聖なるものとして保持するための道や方法として、世襲の王制以外のものが存在しないことは、これまでの経験〔歴史〕が教えています」〔同、アンダーライン:バーク〕。
自由は祖先より相続した遺産だと定めたとき、個人の自由への国家権力の侵害は、最大限に抑制される。
結果として、国民の自由が最大限に享受できる。
これを最初に発見したのが中世のマグナ・カルタであった。
それを、1689年の権利章典の根幹として近代的なものに再生し直したのがサマーズ卿であった。
マグナ・カルタは、数百年後の権利章典や王位継承法を先取りして、王位継承と自由との一体不可分の“法”を制定法にしたものであった。
たとえば、マグナ・カルタ第63条は次のように定め、臣民の自由が「相続される」旨をはっきりと書いている。
次に、王位も「相続される」ことが明記されている。
同種のことは第一条にもある。
「朕は、イングランドの教会が自由であること、ならびに朕の王国内の臣民が前記の自由、権利および許容のすべてを、正しくかつ平和に、自由かつ平穏に、かつ完全に彼ら自身のためおよびその相続人のために、朕と朕の相続人から、いかなる点についてもまたいかなる所においても、永久に保有保持することを、欲し、かつ確かに申し付ける」〔注9、アンダーライン:中川〕。
〔備考〕岩波文庫版の田中英夫訳は、「臣民」を「人民」「民」、「忠良」を「忠誠なる人民」、などと英国には存在しない「人民」を創作すべく意図的に誤訳している。
ところでマグナ・カルタでは「相続」とか「相続人」とか、あるいは「相続料」や「相続財産」というように、「相続」の言葉が氾濫するほど多い。
マグナ・カルタの特徴の一つである。
岩波文庫訳では第2条に9回、第3条に4回、第4条1回、第5条2回、第6条2回、第7条2回、第10条1回、第11条2回、といった具合である。
このことは、第2条から第11条めでの冒頭の10カ条すべてが相続財産にからむ規定であり、「自由=財産=相続」という法理がマグナ・カルタの中核をなしていることを示している。
ルソーとマルクス以来、私有財産否定の社会主義/共産主義のドグマ(教義)が世界を席巻した。
米国が国をあげてこれらの主義と戦うのは、「私有財産=自由」の概念を確立したマグナ・カルタの法理を最も正統に継承する国家だからである。
共産主義の拡大を阻止するための、朝鮮戦争〔1950〜53年〕やベトナム戦争〔1960〜73年〕であれほどの犠牲を甘受できた米国の自由の精神には、マグナ・カルタが活きている。
(【参考】「マグナ・カルタ」→エドワード・コーク卿『英国法提要』→ウィリアム・ブラックストーン『英国法釈義』→アレグザンダー・ハミルトンら建国の父ら『ザ・フェデラリスト』→米国憲法・米国建国の系譜)
・・・「自由=相続」という、憲法原理の一つは、このように「自由の大憲章〔マグナ・カルタ〕」によって形成されたのである。
マグナ・カルタはのち、32回も国王によって再確認されて生命を保ちつづけた。
また、17世紀初頭であったがコークの『英国法提要』第U巻の冒頭での解説もあって、近代の英国憲法の基本文書の一つとなった。
「自由=相続」という英国憲法の原理は、それ以来、不動である。
さて、英国が、自由を「世襲の原理」において体現するという天才的発明に成功したのは、国家を代々つづく家族〔「家」〕からアナロジカルに把握し、国家と家族を複合的に一体化して透視したからである。
このことは、バークの「世襲の原理」の説明によく現われている。
「この世襲の原理を選択するにあたって、英国は血縁関係のイメージをもって政体の枠組みを把握しました。
すなわち、わが国の国体とわれわれの愛する家族の絆とを結びつけて、英国の基本法を愛情あふれたわれわれの家族につつみこみました。
イギリスの国家と暖炉〔各国民の家々〕と墓標〔祖先〕と祭壇〔教会〕とを不可分のものにするとともに、それらをすべての国民が一緒に相互に慈愛をもって暖かく大事に育ててまいりました」〔注10、アンダーライン・カッコ内中川〕。
自由の権利を「世襲の原理」をもってその正当性の根拠とするのは、英国憲法の普遍の哲理である。
が、バークはこれに加えてもう一つ重要なことを提示する。
それは、「世襲の原理」に基づく自由のみが、単なる自由ではなく、自由が「高貴な自由」「堂々として荘重な自由」「美しき自由」「倫理ある自由」になるという、“自由の高級化”の働きについてである。
そして、政治は「世襲の原理」に従えば、祖先の叡智をフルに活用できるばかりか、絶えず祖先に対して恥ずかしくないかと自問する「祖先の見ている前の政治」となるから、最高レベルの政治へと向上する。
「われわれの自由を遺産として考え、・・・あたかも列聖化された先祖が見ているといつも思いながら行動すれば、・・・ルールから逸脱したり過度になりがちな自由の精神ではあるが、畏怖するような重々しさで和らげられるものです。
決して賤しくない家系の子孫であるという意識が、成りあがり者的な尊大さを自制するのです。
かくしてわれわれの自由は高貴な自由となり、堂々として荘重な自由となるのです」〔同〕。
※本文中の〔 〕内は中川八洋氏の補足、( )内は、私〔=ブログ作成者〕の追加補足である。
(以上、中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、第三章 第二節、142〜153頁を抜粋)
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【注】(中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、178頁)
第二節
1、The Writings and Speeches of Edmund
Burke,Vol.3, Oxford, p.273.
2、バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、43頁。訳中川。
3、Burke, “Appeal
from the New to the Old Whigs”, pp.265-266.
4、前掲『フランス革命の省察』、43頁
5、『人権宣言集』、岩波文庫、85頁、81頁。以下引用末尾の頁数は同書。
6、王位継承法〔Act of Settlement〕の訳は中川。
(7、本文省略)
8、前掲『フランス革命の省察』、41頁、33頁。訳中川。
9、前掲『人権宣言集』、53〜54頁。
10、前掲『フランス革命の省察』、44〜45頁。訳中川。